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2021年12月19日クリスマス礼拝

(礼拝動画)

 

(説教音声)

イザヤ書第21章11-12節

11ドマについての託宣。
セイルから、わたしを呼ぶ者がある。
「見張りの者よ、今は夜の何どきか
見張りの者よ、夜の何どきなのか。」
12見張りの者は言った。
「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。
どうしても尋ねたいならば、尋ねよ
もう一度来るがよい。」
説教「夜明けはまだか」三輪恵愛牧師

1.イエスさまのお生まれの直前は、闇がもっとも深い夜のこと

25日が平日の際は、その前か後の日曜日を「クリスマス礼拝」としています。日本の教会では、前の週にあたるアドヴェントの第四週に重なることが多いようです。アドヴェントは「救い主のお生まれを待ち望む」という意味です。第四アドヴェントに、救い主を待ち望む思いは最も募ります。聖書はイエスさまのお誕生の出来事を伝えています。三人の博士が夜空の星に導かれて、遠い東の国からイエスさまのもとにやってきたこと。羊飼いたちが、夜空に現れた天使の言葉を信じて救い主を探しにきたこと。どちらも夜のことを語ります。イエス・キリストがお生まれになった夜は、闇がもっとも深くなった時でした。それはまた「夜明けはまだか」と声が上がる時なのです。

2.横たわる現実のなか、闇の中に置かれても「夜明けは必ず来る」と語り続ける

今日の箇所、イザヤ書は神さまが将来を語る「預言」を記します。見張りの者は「夜明けはまだだ」と言わざるをえません。まだその時ではないからです。しかし、同時に見張りの者は、揺るぎない確信を語ります。「夜明けは近づいている」。イザヤは小国が大国の間にすりつぶされていく時代を生きた人でした。戦のたびに、預言者の眼前には人々の苦しみの現実が横たわります。何度、励ましの言葉を語っても、声が届かない思いを繰り返します。「今は夜のなんどきか、いつまでこの地上は闇に覆われているのだ」しかしそれでも語るのです。「夜明けは近づいている」と。この現実を前にして、なお希望を語り続ける預言者の姿は重なります。どこに、でしょうか?ここ、教会です。

3.神さまから救い主イエス・キリストを贈られ、「見張りの者」は希望を語り継ぐ

そこで今日のみ言葉が与えられた意味も明らかになります。何度も問う声が聞こえてきます「夜明けはまだか」。現実に横たわる苦しみ、悲しみ、不条理を目の当たりにして「夜明けはまだか、まだか」と待ち望む声が聞こえてきます。その声を聞きながら、見張りの者のまなざしも現実を捉えています。闇が深い地上から目をそらしません。しかしその現実に押しつぶされることなく、希望を語るのです。「夜明けは近づいている」。それは、クリスマスに与えられた贈り物があるからです。イエス・キリスト、神が人となってくださった真実です。闇がもっとも深い夜、イエス・キリストはお生まれになりました。生涯の果てに十字架と死の闇から復活し、新しい朝を開かれました。この真実が見張りの者に「夜明けは近づいている」と語らせ続けます。クリスマスを祝うごとに、約束の確かさは強められていきます。神さまからイエス・キリストという愛を贈られた真実が、希望を語り、愛を贈り続ける「見張りの者」へと、教会を新しくしていくのです。

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