« 2022年1月2日主日礼拝 | トップページ | 2022年1月16日主日礼拝 »

2022年1月9日主日礼拝

(礼拝動画)

(説教音声)

 

ローマの信徒への手紙第15章7-13節

7だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。 8わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、 9異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。
「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、
あなたの名をほめ歌おう」
と書いてあるとおりです。 10また、
「異邦人よ、主の民と共に喜べ」
と言われ、 11更に、
「すべての異邦人よ、主をたたえよ。
すべての民は主を賛美せよ」
と言われています。 12また、イザヤはこう言っています。
「エッサイの根から芽が現れ、
異邦人を治めるために立ち上がる。
異邦人は彼に望みをかける。」
13希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
説教「主が受け入れてくださるから」三輪恵愛牧師

1.教会は共に生きる場所。互いに相手を受け入れることが求められるところ!

1月6日の公現日をもって主のご降誕をお祝いする降誕節も過ぎていきました。主イエス・キリストの生涯をみ言葉から聴き取る新しい歩みがはじまります。その前に本年の年間聖句にも選ばれた箇所が与えられました。「あなたがたも互いに相手を受けれなさい(7節)」。教会は共に生きる場でもありますから「互いに受け入れあう」ことが欠かせません。相手のことを受け入れあうとき、教会は生き生きとした命を持つのです。

2.パウロは「受け入れる」基準を「キリストが受け入れたように」とキリストに置く

 ローマの教会にはユダヤ人からキリスト者になった人々と、異邦人からキリスト者となった人々がいました。彼らの間では「互いを受け入れる」ことが出来ない人々がいたようです。そこで手紙の書き手であるパウロは「受け入れ合う」ときの基準を先に語ります。これです!「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように」。ユダヤ人であろうとも異邦人であろうとも、キリストに受けれていただいたことでは同じです。そこで「互いに受け入れる」ようとするとき、「キリストがあなたがたを受け入れてくださった」ときを思い起こし、その姿に倣いなさいと言うのです。

3.キリストに捉えられたところを互いに捉え受け入れあう。それが教会の「受け入れ」

 「受け入れる(プロスランバノー)」と訳されている言葉の意味は「相手の在り方を捉える」と言った意味を持ちます。「キリストも同じようにわたしたちを捉えてくださった、だから同じように受け入れあうことができる」とパウロはそう伝えているのです。ではキリストがわたしたちを捉えるためにまなざしを注ぐところとはどこでしょうか。「神へと身を向けているかどうか」、この一点においてキリストは救い主としての御業を発揮します。それは「神の栄光のために(7節)」、ただそのためだけに為されたというのです。神の栄光は、神に背を向けていた人が心を向けなおす、新しい創造のうえに輝きます。神の御前に打ち砕かれた霊、悔いる魂、神に立ち帰りたいと願う一点を捉え、受け入れてくださるのです。わたしたちは主が受け入れてくださるからこそ、お互いにその一点にまなざしを注ぎ受け入れあいます。打ち砕かれた霊、悔いる心をキリストに受け入れられているから、わたしたちは共に生きることが出来るのです。どのような信仰の過程を経ても「キリストに受け入れられている」という確信が必ず与えられます。そこには、罪人から神の子を生み出す神の栄光が輝き、褒めたたえる歌声が響いていきます。それこそが、希望の源である神に喜びと平和を満たされていく教会の姿なのです!

« 2022年1月2日主日礼拝 | トップページ | 2022年1月16日主日礼拝 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2022年1月2日主日礼拝 | トップページ | 2022年1月16日主日礼拝 »

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ