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2022年1月30日主日礼拝

(礼拝動画)

 

(説教音声)

 

ヨハネによる福音書第1章29-34節

29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 30『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。 31わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」 32そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。 33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

 

説教『幸いは主のまなざしのなかに』 三輪恵愛牧師

1.イエスさまに「何を求めているのか」と問われながら、キリストの道を共に歩む

1章35~51節は『弟子の召命』が記されています。今日の箇所はその前半です。三人の人がイエスさまに弟子として招かれていきます。その一番はじめにあたり、イエスさまは「何を求めているのか(38)と、まず「イエスに従った(37)二人に問いかけていました。ここで用いられる『従う(アコリュウオー)』という言葉は「同じ道を歩む者(ア・ケルーソス)から来たものです。ここからキリストの弟子は「救い主と同じ道を歩むなかで『何を求めているのか』と問われる者」であることが分かります。

2.世の罪のおびただしさのまえに、「神の小羊」を求める者であったことに気付く

 「何を求めているのか」と問われ、二人ははっきり答えられません。しかし「どこに泊まっておられるのですか(38)と尋ねます。泊まる場所を確かめたアンデレはシモン・ペトロを連れてきます。この姿から「イエスさまがどこにおられるのかを確かめ、そこに兄弟を連れてきたい」と願っていたことがわかります。二人は洗礼者ヨハネの弟子でした。ペトロもそうだったはずです。ヨハネと共にヨルダン川で洗礼活動をしながら、世の罪に悩む大勢の人々を目の当たりにしてきました。「どうすれば罪に悩む世を救うことが出来るのか」それこそ三人にとって求めていたものでした!ヨハネはイエスさまの姿を見つめ「見よ、神の小羊だ(36)と言います。「この人が歩む道を共に歩いて行け!そこに求めるものがある」そうしてヨハネは三人をイエスさまの道へと押し出します。そこで三人は何を求めていたのかを知る者となっていくのです。

3.はじめからすべてご存じであるお方が「共に歩む」幸いな者へと招いておられる

 アンデレがペトロを連れてくるとイエスさまは「あなたはヨハネの子シモンである(42)と言い当てられます。神の全知の力が現れます。これに先立ちアンデレは一晩イエスさまと共にいただけで「この人はメシアだ」と確信します。ここでも人知を超えたことが起きています。けれども神さまに人が召し出されていく御業は、人知で説くことは出来ません。確かなことは、「何を求めているのか」と問われるとおり「何かを求めてこれまで生きて来た」ということです。「世の罪を取り除く神の小羊」が留まっている場所を示されて「何を求めているのか」が知らされていく、これこそキリストと同じ道を共に歩む弟子たちに約束されていく幸いです。世の罪を悲しみ、祈る者として生きてきたペトロを、生涯の初めからイエスさまは見つめていました。彼はケファ(岩)と呼ばれる新しい名により、その道にとどまり生きていくことが約束されます。ここから新たに、キリストと共に歩む祝福された生涯が示されていくのです。

 

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