2022年3月6日主日礼拝
(説教音声)
ヨハネによる福音書第3章1-15節
1さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 2ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 3イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 4ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 5イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 6肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 7『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 8風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 9するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。 10イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。 11はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。 12わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。 13天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。 14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
説教「どこへと吹くのか霊の風」牧師三輪恵愛
1.イエスさまのしるしを見て「神が共にいる人」と確信した、夜の訪問者ニコデモ
ヨハネによる福音書の特長の一つに「イエス・キリストとの長い対話」が挙げられます。ここでの対話者はニコデモです。彼はファリサイ派であり、議員、そして教師です。地位も名誉も知識もある人物です。その彼が夜、イエスさまのもとを訪ねます。ある人は夜の訪問に彼の屈折した感情を見出します。「ナザレの田舎者に教えを乞う姿を見られたくない」と言ったものでしょうか。しかしある人は、ユダヤ人が夜に信仰の教えを乞う姿は正当なものであり、むしろ教え導く責任を誠実に果たそうとしていたと言います。いずれにしてもニコデモは、エルサレムでのイエスさまのしるしを見て「この人にこそ神が共におり、神と共に生きている(2節)」と確信した人なのです。
2.神の国に生きるためには、新しく、そして霊によって生まれなければならない
その確信を打ち明けるニコデモにイエスさまは答えます。「新しく生まれなければ神の国を見ることはない(3節)」また「霊によって生まれなければ神の国に入れない(5節)」と。ニコデモが神の国に生きる者でありたいと願っていることを御存じだったからです。そうなるために「霊によって新しく生まれる」ことが起きる、と言われます。
3.天より吹き来る霊の風は、挙げられる人の子を示し、神の国に生きる命を与える
齢を重ねたニコデモには「新しく生まれる」の真意が理解できません。それでもイエスさまは「霊は風のように思いのままに吹く(8節)」と語り、彼を真理へと招きます。霊を、吹き込んで来ては音を立て(フォーネー:声をあげる)、どこかへと吹き抜けていく風にたとえます。どこから吹いてくるのでしょうか?イエスさまが語る「新しく生まれる」の「新しく(アノーセン)」という言葉は「上から」という意味も持ちます。新しいことは「上」から起こされるからです。意味を折り重ねながら、イエスさまはご自分が天から来たものであり、天に昇るものであることを語ります(13節)。天上との強いつながりを示すように、御自身には霊が下っていました(1:32)。霊はこの救い主にあって天より吹き来たり、音を立てていると言われるのです。霊が立てる音とは、すなわち神の言(ことば)です。霊の声は吹いていく先も示されます。それは人の子が挙げられるところ。十字架の御苦しみと復活を通して、天上へと、神の国へと吹き戻ります。その霊の風をうけるとき、人は神の国をまなざしにとらえ、入っていく生へと新しくされていきます。霊である以上、これは神の御業。霊の風はわたしたちに人の子が挙げられる姿を見上げさせ、信じさせ、そして永遠の命へと新しくするのです。
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