2022年2月20日主日礼拝
礼拝動画
(説教音声)
1.弟子を信じるものへと変えていくためカナの婚礼で奇跡を起こされるイエスさま
第1章で5人の人々を招かれたイエスさま。第2章では彼らが弟子だと記されます(2,10,11節)。ところが11節は「そこで弟子たちはイエスを信じた」と記します。裏を返せば、弟子たちはイエスさまを信じていなかったということです。第1章からの弟子を招く出来事はまだ続いています。弟子たちを、ただ従うものとしてではなく、信じるものへと変えていくのです。そのためにイエスさまは奇跡を起こされます。それが「カナの婚礼」とも言われる、イエスさまの初めての奇跡の出来事です。
2.母は、神の御前に喜びを分かち合う婚礼で、ぶどう酒がなくなることを不安に思う
ここで起こされた奇跡は「水がぶどう酒に変わる」というものです。婚礼の席上でぶどう酒が尽きてしまったことが発端でした。そのことをイエスさまの母が伝えます。「ぶどう酒がなくなりました(3節)」。1節ではイエスさまや弟子たちに先立ち「イエスの母がそこにいた」と、婚礼の場にいるべき人として記されます。母はこの婚礼に何かしらの役目があって招かれたようです。彼らはユダヤ人でした。婚礼では新しい家庭を祝福します。神さまの御前に、新しい命を育む小さな群れが出来たことを喜ぶのです。しかし、その喜びの源のぶどう酒がなくなってしまいます。母はそれを心配します。
3.神を信じるものが生まれる奇跡の業は、神の栄光に用いられる者たちのなかで
イエスさまは母に「どんなかかわりがあるのです(4節)」と答えます。原文の素朴さゆえ素っ気なく聞こえますが、言葉を補えば「あなたが心配していることは、わたしが行おうとしていることには支障はない」との意味。つまり「大丈夫、安心しなさい」ということなのです。母はそれを聞き、召し使いたちに「この人が何か言いつけたらその通りにしてほしい」と伝えます。この姿から、喜びが尽きようとするとき、その不安を主イエスに伝えてよいということがわかります。主に頼るなかで、召し使いたちに言ったように「主の御言葉が語られる時を待つ」ことの大切さも伝えるのです。イエスさまは召し使いたちに、6つの水がめを水で満たすようにと命じます。いま、ユダヤ人が清めのために用いていた水は、イエスさまの奇跡によってぶどう酒に変わります。良いぶどう酒を、イエスさまはご自分の時のために取って置かれるのです。その真実を知っているのは、御言葉に聴き、従った召し使いたちでした。彼らには神の奇跡、すなわち神を信じるために起こされる御業が示されます。母が不安を隠さずに伝えみ言葉を待ち、召し使いたちがそのみ言葉に用いられ、喜びの婚礼は続いていきました。その奇跡を示された時、弟子たちは信じるものへとされていったのです。
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