1月のことば
昼間の闇に抗して
牧師 多田 滉
新しい年をいかがお迎えでしょうか。
表面的には景気が好転し、明るい年が開けるように思えなくもありません。しかし、表向きの希望が、しっかりした土台に根ざしたものかと言えば、どうもそうでは無いようです。表面の明るさの裏側に、深刻な闇が深まっています。なにか全ての対策が、「モグラ叩き」のように、その場限りの問題処理に追われていて、根本から築き上げる必要があるものは、全てが後回しにされいるようです。人心は、どこかでそういうあやふやさを感じ取り、恐ろしい不安に苛(さいな)まれていて、なにかのきっかけで爆発しかねません。思わぬ処で吹き出せば、暴走は誰も止められないことになる。殊にネット社会の動静にそういう危惧が感じられます。
新年の改まった思いのこの時に、改めて落ち着き、心をひそめて慎重に一歩を歩み出したいものです。あっけらかんとさえしている昼間の明るさの、その裏側にひそむ巨大な闇に抗すること、それは元々聖書が指し示す信仰者の業でしょう。闇が深まれば、それだけ光は輝きを増します。どんな闇も、この小さな光を覆い消し果てることが無かったことは、今回の降誕祭でも確認したことでした。又この事実は、聖書という秘義に満ち魅力溢れる書物が置かれた人類の歴史が雄弁に物語っており、それを誰も否定出来ません。
アドベントに歌った、現代の殉教神学者D.ボンフェッファーが遺した讃美歌が、唇に上ります。「闇は深まり/夜明けは近し。明けの明星/輝くをみよ。夜ごとに嘆き、悲しむ者に、よろこびを告ぐる/朝はちかし。‥‥闇の中にも/主は歩み入り、かけがえのない/われらの世界/死の支配より/解き放ちたもう。来たらしめたまえ/主よ、御国を。」(讃美歌21、243番)。
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
(創世記15篇5節)
目覚めよ、わたしの誉れよ/目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう。
(詩編57篇9節)
あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。‥‥そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
(マタイによる福音書5章14、16節)
‥‥わたしの愛する人たち、‥‥恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。‥‥ そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、‥‥キリストの日に誇ることができるでしょう。 (フィリピの信徒への手紙2章12、15,16節)