2017年1月月報より

     小さな群よ、恐れるな                 牧師 多田 滉
 戦後、私たちの国の教会に指導的な奉仕をした牧師、神学者の一人に、渡辺善太という人がいます。この人の残した神学書や説教が著作集の形に纏(まとめ)められて、刊行中です。その説教集の中に、イザヤ書六章一~一三節を講解して、次のようなくだりがあります。イザヤを預言者としてお召しになった神から「これがお前の使命だよと言われて、はっきりとそれを握らせられると、その舌の根が乾かぬうちに、お前の預言は効果をみせぬぞという。‥‥こんな言葉を聞かされたイザヤはどうした?‥‥効果のないことを覚悟の上で彼は預言した。これがネ、キリスト教が今日はやらない原因だ。‥‥これがわからなけりゃ、キリスト教の福音というものはわかるもんじゃない。この矛盾にもかかわらずイザヤは立った。」

 確かに、聖書はアブラハムを召した神が、彼を祝福の元とされて、全世界に子孫が増え拡がる約束を与えています。そういうならば、宣教が右肩上がりに効果を発揮する、という約束です。しかし、同時に聖書には、不思議なことにそれと全く逆の方向性も、語られます。イザヤの召命記事もその一つでした。さらに上げれば、ギデオンが兵を極限まで数を減らすように命じられたり(士師記七章四節以下)、預言者エリヤの、「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、‥‥わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」(列王上一九・一〇)という嘆きなど。更には主イエスにおいても、「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。」(ヨハネ一六・三二)とか、「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。」(ヨハネ六・六六、七)などを思い起こすなら、こういう現象は決して珍しいことではなく、むしろ福音が世に語られる時の、至極当然の事態だと受け止めなければならない、と言えます。

 私たちの国のプロテスタントの宣教は、二つのブームによって成り立っています。明治初期と第二次世界大戦後に、キリスト教が日本全体を覆い、私たちの国がキリスト教国になるのか、と思わせるほど、各地の教会に人々が押し寄せました。しかし、ブームはバブルにも似て何時かは萎む時が来ます。今日、この国のキリスト教は、既に絶滅危惧を感じさせる、という悲観的な観察が囁かれる迄になりました。それが教会の宣教の怠慢や熱意の減衰から来るなら論外ですが、むしろ渡辺善太氏の指摘や、それを裏付ける聖書記事などを見るなら、むしろ私たちの教会が、こういう状況下で聖書的な信仰を真に体得し、教会がキリストの教会として立つ為のむしろ絶好の機会と考えるべき時だ、と言ってよいと思えてきます。数の多さにものを言わせるポピュリズムや、安易な成功物語が人々を総嘗めにしかねない傾向が、世界を覆う昨今です。勤勉で忍耐強く、数々の難局にも、決して諦めない信仰姿勢を、聖書は随所で励ましています。「わたしひとりだけが残り」、と嘆いたエリヤに「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」(列王上一九・一八)と神は語り給いました。「わたしをひとりきりに」と言われる主は、「しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」という確信を添えて語られます。私たちも今、教勢低下が嘆かれ、日曜学校に僅かの子供達しか通わなくなり、若者の教会離れが著しい、といった現状を目をつぶらずに直視しながら、尚希望を捨てないのが、今日のキリストの教会の姿です。そこには常に主による励ましが響いて居るのを忘れないからです。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ一二・三二)。

2016年8月月報より

自然と人間                            牧師 多田 滉

 今年の日曜学校の夏期学校は、二日目に犬山市が丘陵地を拓いた公園に場所を移して、子供達は其処に設営された様々な遊具に打ち興じました。彼らが元気な声を上げて遊ぶ様子を、ベンチに腰掛けて眺める周囲の木立の中で、時折ホトトギスの囀りが聞こえていました。体温が低い鳥であるため自分では抱卵せずに、ウグイスやホオジロといった、自分よりは遥かに小さい小鳥の巣に、ちゃっかり卵を産んで托卵する、と言われるこの鳥です。彼らは絶滅が危惧される種としてレッドデータブックに載らずに済んでいるのだろうか、などという心配が胸をよぎる思いで、万葉の時代から日本人に愛されてきた季節感溢れるこの鳥のことを考えました。
 地球上から姿を消す生物の勢いが止まらない、と言われます。動植物の消長は、勿論人の手の加わらない自然環境でも、自然に淘汰される種があることは、当然です。テレビの番組が「明治神宮」造営一〇〇年を機に、生物のあらゆる部門についての学術調査が行われた記録を放映しています。一〇〇年前、自然世界の動向を熟知した学者たちによって、時の総理大臣の杉の木で覆う聖域造りの指示に強く異が唱えられて、針葉樹と広葉樹を国中の民間から広く寄贈を受けて植樹をした後は一切人の手を加えずに自然に任せる案が採用された、と言われます。植物の生態学に通じる学者たちに、結局は委ねた当時の首相の雅量が、今日の政治のトップにはあるでしょうか。それはそうとして、造営一〇〇年後の調査で、植樹当時の学者たちの予想を越えた速さで、大東京の只中に、動物で言えば猛禽類のオオタカを頂点とする見事な食物連鎖を含む一大自然の森が出来上がっていることが判明した、という報告でした。
 其処では、確かに自然淘汰によって、動植物の種の更新が行われています。しかし、強い種に負けて消えたように見える種も、全く消滅し、絶滅して果てたのではなく、何かの機会に再生し、繁栄を再現できる可能性を含んで、植物で言えば地中に種子の形で待機しているのです。何かの機会に、目に見える形で勢力を盛り返すことが可能です。自然は、常にそういう更新を繰り返しながら、全体として強靱な生命力を維持し続けている訳です。
 しかし、其処に人間の自然開発の手が入ると、それまで種の更新を進める循環の輪の何処かが傷つけられてしまう。其処で生じる「絶滅」は絶望的です。ホトトギスなど、カッコウ科の鳥たちが托卵という方法で、自分たちの種を続けることを何処で覚えたのか、全くもって不思議なことですが、彼らの卵を託す小鳥たちがいる限り、彼らの種の存続は強靱です。しかし、そういう相手がいなくなれば、存続は極めてひ弱さを露呈することになります。「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」(ローマ八・一九)という使徒パウロの言葉は、この自然界の生命力の強靱さとひ弱さの秘密を、創造主なる神の御旨を託す人類への期待との関わりから、見事に言い表していると思います。
 私たち人類は、近代化によって自然界を自分たちの生命維持の為に利用出来る対象として見続けて来、私たち自身が自然界に命を託された神による創造の輪につながっていることを無視しがちにして来ました。「日本列島改造論」から「ふるさと創生」に到る掛け声は、一貫して里山を崩し、田舎を都市化することで、自然の生命力の輪をずたずたに切り離す結果をもたらしました。しかし、それは結局自分たちの生命そのものを切り刻むことに過ぎませんでした。今、世界を揺るがすテロリズムから、人間性を蝕(むしば)むヘイトスピーチに到る迄、自然世界の尊厳と優しさから離れて傲慢化する人間は、自身が死の使いに成り果てるだけで、生きることが出来なくなる、という警告現象に思えてならないのです。

 

2016年1月月報より

     高齢化社会の豊かさを求めて

                    多田 滉 牧師

 「モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。」(申命記三四・七)。聖書は、モーセの死について、不思議なことを言います。出エジプト以来、約束の地まで民を導いて来た彼は、目的地に入ることが許されず、遙かにピスガの頂きから、靄にかすむ麗しい地を眺めるだけで多難な生涯を終わるのです。そういう彼の「目はかすまず、活力もうせてはいなかった」とは、どういうことを言おうとするのでしょうか。誰も死に臨めば、目はかすみ気力が失せるから「死」ぬ訳です。そういう肉体的な面では、モーセであっても同じだった筈です。ですから、ここには人は死ぬ時でも「霊的」には決して衰えない状態を保つことが出来る可能性がある、ということです。モーセに限らず、信仰者にはそういう一面があることを覚えたいと思うのです。
 それは、嵐のガリラヤ湖上で、荒波の猛威に悲鳴を上げ、沈没の可能性に怯える弟子たちを尻目に、「艫の方で枕をして眠っておられた。」(マルコ四・三八)主イエスの信仰にも通じる姿勢とも言えるでしょう。其処には、肉体は眠っていても、霊においては目覚めている、と言うことがあって、そうでなければ、弟子たちの助けを求める叫びに目を覚まされても、決して慌て給わないことが説明できません。この時、主は寧ろ弟子たちを遙かに越えて、その場の状況を的確に把握して居られて、状況に対応されたことでも分かります。
  「モーセは死んだとき‥、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。」。年老いて、腰が痛み歩行に困難が生じても、私たちは「目はかすまず、活力もうせてはいない」でいることができるのです。高齢化が進む社会で人々は「老醜」を恐れます。しかし、霊的な側面の存在を知る信仰者には、モーセと共通する、言うならば「老熟」の可能性が満ちています。人はキリストにあって死ぬことは、真に生きることにつながる、と教えられてきました。こういう命は、日頃日常の信仰生活の中で、培われるものです。「モーセという人は、この地上のだれにもまさって謙遜であった。」(民数記一二・三)。「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」(出エジプト三三・一一)、という御言葉が、モーセの霊性の若さというか、或いは「老熟」ぶりというべきかの秘密を解くように思われます。物質的世界や地上のことだけに心を引きずられる現代の著しい欠陥的な生き方からは謎めいていて、モーセのかすまない目が見た現世が靄に霞んでいた、としても当然でしょう。
 モーセの死に際(きわ)に現れた霊的な「若さ」は、彼の生涯を貫く生き方の結実でした。高齢化とともに若者の教会離れも、現代の教会の憂いです。モーセに似た老いて尚若い霊性をもう一人、「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、」(フィリピ三・一三)という言葉を吐いた人にも見ることが出来ます。使徒パウロです。老境に達して、殉教死も覚悟する牢獄の激しく消耗する生の中から、こう言明したパウロも、既に老境に達していましたが、こういう若い霊性を常に増進して止みませんでした。高齢化や若者の教会離れを嘆くよりも、こうした信仰の力を見る方が「希望」でしょう。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」、「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。」(コリント二、四・一八~五・一)。物質主義的現代が、自覚せず尚乞い求めている霊性の豊かさです。

月報2015年8月より

       言葉と真実
                            牧師 多田 滉

   使徒パウロは、コリント教会訪問計画が変更になった事情を知らせながら、それが相手からは「嘘」をついたと非難される可能性を心配しています。そして、神の子イエスの「然り」が同時に「否」とはならない恵みの一貫性の故に、彼の行動と言葉にも、嘘ではなく真実が流れていることを分かって欲しい、と呼びかけます(コリント二、1・15以下)。明日のことは私たちの手の中にないのですから、約束が事情によって変更せざるをえないことも生じます。神の真実に依り頼むことがなければ、約束を伴う言葉の生活は成りたちません。

 信仰生活でさえそうであるなら、この世の実際生活、殊に「嘘も方便」ということが、ある程度通用する政治の言論世界が、深い所で、常に「隠れた処におられる神の真実」に支えられなければ、本当は成り立たない筈、ということになります。私たちの国の政治権力の世界は、古来宗教世界の独自性や独立の必須なことに目を閉ざし、さらにはそれを圧迫するか、ひどい場合は宗教を政治のために利用さえする(国家神道)ことが続いてきました。その本質は、残念なことに今も変わっていません。それが却って政治的な貧困を生んで来たことに気づかねばなりません。例えば、民衆に漠然と流れる根強い政治不振や、選挙の度に繰り返される投票率の低迷など、更に信仰者の多くが政治に意図的に無関心であることを「政教分離」の実践と誤解することなど、がその結果の現象です。

 平和を考える八月が又やって来ました。戦争忌避の思いが、最も強く噴出する季節でもあります。戦争は政治的な出来事です。戦争ではなく平和を、と叫ぶ人々が政治には無関心であることがあります。殊に篤信のキリスト者にさえ多く見られる傾向です。
 「戦争とは嘘の一大体系である」(カルル・クラウス)と言ったドイツ人がいるそうです。戦争に踏み切る政治家は、決定的に国民に「嘘」をつかなければ着手出来ない。私たちの国が第二次世界大戦に突き進み、それが悲惨な敗戦という結果を生んだとき、戦争に駆り立てられた国民の多くが「騙(だま)されていた」という感慨を持ったという、そういう事実からも良く了解されます。

 それなら、「騙されまい」というのが歴史から学ぶ知恵、ということになります。今や、戦争をする国への準備が、政治世界で進行中です。平和憲法の言葉を残して、戦争を可能にするために、「秘密」から始まって「嘘」が横行しています。パウロ流に言えば、「然り」が同時に「否」となるような事態が公然とまかり通ります。原発の平和利用という実は「嘘」が、安全神話の崩壊と共に、閉じ込めていたはずの放射能と一緒に吹き出てきて暴露してしまったのと全く同時進行しています。

 しかし、神は生きて歴史に働き給います。「隠れた処におられる神の真実」は、日本国憲法にも命を吹き込んでおられます。多くの日本人は、憲法をフランス革命の人道主義(ヒユーマニズム)からの流れと考えます。少数の人々は、それを自虐的な押しつけと呼びます。いずれにせよ、それでは、憲法に流れる一人の人格を尊ぶ中心理念は軽視されるか無視されます。日本国憲法の中心理念としての基本的人権の思想は、むしろピューリタン信仰の戦いの成果という源流から発して、遙かにこの憲法に流れ込んでいる世界的潮流と見るべきです。そして今やそれはキリスト教に興味を持ちながら敬遠する多くのこの国の人々の中にも、徐(おもむろ)に、強い平和指向の国民意識となって大きく広くうねり、溢れ出しています。

月報 2015年1月より

  信仰の継承について    
                              多田 滉

   永い間、信仰の継承の課題が語られて来ました。世界の精神的な状況は、依然としてこの問題にとって、希望の兆しは見えないようです。この傾向はわたしたちの国ばかりか、いわゆるキリスト教先進国にも、見られるもののようです。確かに、そうではない、どちらかと言えば、これまではそれ程伝道が容易ではなかった地方がありました。彼らはキリスト教世界から送られた宣教師の献身的な働きによって養われた地方だったのですが、今は彼ら独自の盛んな教会活動を展開しているのです。
 わたしたちの国は、キリスト教の先進国では、ないのに、伝道も信仰の継承も、言わば早くから先進国と同じ道を歩んで居る、と言えるでしょう。現代に有力な宣教を展開する地方の部分は、感謝して、そこに祝福を祈りたいと思います。しかし、その手法を採用することは、別のことだと思うのです。

 キリスト教は、伝統の宗教です。その歩みをどういう場合でも、歴史の中で位置づけて進んで来たのです。決して今勢いが良い部分を、簡単に移植して解決出来るものではないのです。信仰継承の課題についても、今非常な困難を感じるからといって、わたしたちに主が課せられた問題を放棄することになれば、決して祝福はされないでしょう。
 信仰継承については、わたしたち信仰者が願う前から、それは聖書が約束することです。神がアブラムに「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」(創世記一五章五節)。元々、子のないアブラムに言われたのです。あるいはフィリピの牢獄が突然の地震で崩壊して、それまでの獄吏を支えた一切の秩序が失われた時、パウロとシラスが獄吏に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録一六章三一節)といった言葉も、神の奇跡的な出来事として語られたのです。
 こういう神の奇跡としての約束を、わたしたちは信仰に当たり前の出来事であるかのように、受け止めて来たのではないでしょうか。つまり、神の御業を信仰者の業であるかのように、扱ってきたと言うことです。そういう中で何時しか「信仰の継承」は信仰者の手垢にまみれ、神の御手の業から離れて行き、言葉だけの唱え文句になって来たのではないでしょうか。

 一度生きた神の約束から離れたことばを、本来の神の御言葉に活性化した命の通う、そして約束が現実となるには、容易ではありません。しかし、現代社会にたいしてそれは信仰そのものの復興と機を一にしていることですから、誰かが、というよりは、皆が取り組むべき課題でしょう。

 族長であるイサクは、アブラハムとヤコブの間で、どちらかと言えば目立たない印象を与えます。しかし、彼もまた重要な役割を担います。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と言われる通りです。父によってモリアの山で献げられ、復活の予表(ヘブライ一一・一九)とされ、その生業は埋められ塞がった井戸掘り(創世記二六章)で、祈りが重要な業でした。活動的で全てに目立つことが強調される時代に、教会の役割は「祈り」であり、神の業としての「信仰の継承」を回復することに、永い祈りの視野をもって仕える忍耐を、御言葉により養われたいと思います。

月報 2014年1月号より

新しい年への思い

                                            牧師 多田 滉

 新しい年があけました。今年は、大戦後ゆっくりと定着してきた私たちの国の民主主義の真価が、問われる年となりそうです。平和主義を根幹とする国の構造は、人が思う以上に私たちの国の日常の暮らしに浸透していて、侮りがたいものがあると、日頃から思っています。例えば、女性の人権意識に基づく社会参加は、戦後導入された女性の参政権を皮切りに、最早誰もこれを逆行出来ない程に行きわたりつつあります。人々の一般的な人権意識がまだまだもどかしい程のものでしかない反面、こうした民主主義の構造定着は、想像以上に根深いことが、思われます。

 昨年暮れに、反民主主義的としか言えない国家秘密に関する穴だらけの法案が、成立を見ました。その成立の経緯自体が、極めて反民主主義的な手法であったことと共に、この法案を疑問視したり、はっきりと「否」を表明する声が、それこそあらゆる階層や思想を越えて盛り上がりを見せました。今や衆参院の「ねじれ」を回避して「決められる政治」を目指す大方の願い(それすらも本来正しい願いであったかどうか問題ですが)を大きく踏み超えて、今や政治を担う側と、国民の広い民主主義意識との間に、「ねじれ」が歴然としてしまいました。日頃から「民意」や「国益」をを口実にして、政策を進める権力側が、その謙虚さを取り戻さざるを得なくなるか、勢いの赴くままに強圧的な施策に暴走するか、どうも後者の方がありそうな気配もあるので楽観は出来ませんが、期待も半ばという処でしょうか。
 元々戦後政治は、無謀で残酷な戦争とそれを導いた超国家主義的イデオロギーが、国を破滅にまで到らせた事への深刻な反省の実りとしての平和憲法を、初めから忌避する人々によって担われて来ました。新しい憲法をもって世界と共に生きることを、心から誇り喜んだ一般民衆の様子を、今でも鮮明に記憶しています。政治と国民の間の「ねじれ」は今に始まったことではありません。それをどの方向に解消するか、ここ六〇年あまりの国の全体的な「つけ」が回ってきた、と言えるかもしれません。

 あの法案が乱暴に成立した時、教会はアドベントの只中でした。マリアの受胎を「秘密裏に」解決しようとした婚約中のヨセフに、神は天使を通してそれを禁じ、「心配しないで」事柄を受け止めるように命じた聖書記事に、改めて「時の徴」を読む思いをしました。私たちは聖書が示す生き方を、正面切って聴き実践することが、それだけで強力に時代への警告となる、そういう時代が来たのです。

 確かに民主主義世界は多数決で事を決め、方向を定めます。しかし、多数決は人類が辿り着いた最善から一歩も二歩も手前の「とりあえず」の手段に過ぎません。聖書はいつでも神の御旨を聴き、従う「一人」から、そして常に社会の弱者や少数者、大人でなく「幼子」に神の国の礎を置くことから、大切なことを始めています。世の中の趨勢とは反対の方向を見つめる孤独な視点を、本当に世の中と共に歩む為に捨てません。そこには、神と人の間にある本質的な「ねじれ」を厭わず、むしろ喜んで引き受けられたキリストが中心に立ち導いておられます。新年の思いです

月報 2013年9月号より

「主は月を作って季節を定められた」 (詩篇104ー19)      
                                                                                                
長老 宮川典夫

 

「光あれ」と、威厳に満ちた言葉によって神が創造された天地。

「天の大空に光るものがあって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。」(創世記1章)

「夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。」(詩136編)

 天文学に関わる暦は、中世以前は復活祭の日をどう決めるかに終止したのですが、西暦325年、皇帝コンスタンティヌス一世はニカイヤの教会会議を受け、「復活祭は、春分のあとにくる最初の満月後の最初の日曜日」と決めました。このことは復活祭は3月22日から4月25日の間ということになります。

 地球は365日5時間48分46秒かけて太陽周りを一周します。現在のカレンダーは太陽暦で1年を365日としていますから、毎年の残り5時間48分46秒を4年分積み重ねて1日分として閏年を設けているわけです。閏年を設ける原則を記せば、「西暦で4で割り切れる年は閏年。ただし100で割り切れても400で割り切れない年は平年とする。」となります。

一方、月の満ち欠けはどうでしょうか。月は新月(朔)、3ヶ月と膨らみ満月へ。そして下から欠けて行き、姿を消します。
「あなたたちの喜び祝う祝日、毎月一日に・・」(民数記10)は消えた月が顔を出した喜びが読み取れます。(但し新月(朔)は太陽の向こう側から昇るので地上からは見られません。)「角笛を吹き鳴らせ 新月、満月 わたしたちの祭の日に」(詩81編)とも記されていますが、新月を月の1(朔)日とするのが太陰暦です。
 一方 神は、「また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない」(申命記4章)と命じ「罪人を断つために 天のもろもろの星とその星座は光を放たず 太陽は昇っても闇に閉ざされ月も光を輝かさない」(イザヤ13章)と言っておられますが、当時は太陽や月を崇める偶像礼拝がはびこっていたことが分かります。

 さて、月の運行では 真の朔望月は約29.53日ですから、陰暦(旧暦)では29日と30日の月を交互に置くことになります。すると1年は約354日で、太陽暦とは約11日短くなります。太陽暦に近づけるためには3年ごとに1カ月増やす、すなわち1年を13ヶ月として調整する必要があります。

 なお、聖書の記事で1年を12カ月とした記録は歴代誌上27章にありますが、暦の内容の手掛かりはつかめません。

 現在の、太陽暦(グレゴリオ暦)による西暦を我が国で採用したのは、「明治5年12月3日を明治6年1月1日とする。」太政官布告からですが、この折り、初代神武天皇即位の年を皇紀元年としました。その後、西暦1940年が丁度皇紀2600年にあたるということで、この年、基督教会も奉祝に参加したり信徒大会が開かれました。逆算すれば皇紀元年は西暦前660年となり、この時代はユダ王国では第13代マナセ王(列王記下21)の時代にあたります。

 さて新しいエルサレム。そこは「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明りだからである。」(黙示録21章)

月報 2013年8月号より

私たちキリスト者と憲法

                                            牧師 多田 滉
                                                                                                                
  戦後私たちの国の在り方を規定して来た「日本国憲法」の改訂が、政治日程に上げられかねない情勢です。岐阜九条の会が、この秋の文化の日の前日に予定している「つどい」の講師のお話しの題は、「これは改憲ではありません、廃憲です」と予告されています。全く同感です。憲法は、国民の負託によって権力を行使する人々が、行き過ぎないように国民の側から抑制する為に、国の基本的な構造を定めるもの、と言われます。その点、多くの法律や条令とは根本から違うものです。

 ところで、「日本国憲法」の掲げる民主主義の源流は、一般に一八世紀末の「フランス革命」の人道主義(ヒューマニズム)だ、という風に考えられがちです。しかし、それではこの憲法の基調としての基本的人権の、殊にその根幹をなす「新教の自由」や「政教分離」の原則、さらには「戦争放棄」を謳(うた)った九条などの説明がつきません。宗教性を排除した人道主義からは、そうした規定は出てこないからです。むしろ、それは更に一世紀以上前のイギリスの「ピューリタン(清教徒)革命」から流れを汲んでいる、と考えた方が正しいのです。これは、かの国における「宗教改革」を根幹とする政治革命であり、私たちキリスト者は、この点をしっかりと受け止めておく必要がある、と思います。キリスト教に馴染みの薄い私たちの国には、この点は不人気かも知れませんが、どうも事実はそのようであるし、少数のキリスト者が、むしろ「日本国憲法」の精神を、自信をもって担ってゆくべき理由がそこにあります。これは、例え不幸にも「改憲」されてしまったとしても、変わりません。尤も六八年もの永きに亘って、この国を成り立たせて来た民主主義の「構造」は、人々の表面的自覚や意識はともかくも、心配されるほど脆(もろ)くはないかもしれない、「靖国神社国家維持法」が、何度も国会に上程され、成立寸前にまで行きながら結局廃案になった前例もあることです。

 はじめに書いたように、今回の「改憲」の動きは、憲法の根本的性格を弁(わきま)えない人々によって、憲法を国民に守らせる政治の道具に変えてしまおうという試み、と考えざるを得ないものです。「日本国憲法」とその中心理念である「平和主義」が政治の担い手たちに、箍(たが)を嵌(は)めてきた、ということからも、しっかりと憲法は機能してきたわけです。彼らが押しつけ憲法だとしてきた考え方は、その成立過程のこととするのは「為にする」議論、改憲の動きと共に、むしろその真相が露見してきた、というべきでしょう。「日本国憲法」は、押しつけられたものではなく、敗戦を機会として、人類の歴史との対話の中で成立した、と考えるべきです。作られた時の国民の主体的な歓喜、今回改憲(廃憲)されれば確実に予想さる国家的孤立等を考え合わせば、現憲法の真理契機が浮かび上がります。

月報 2013年1月号より

厭戦と厭核について     
                                                    牧師 多田 滉
 一昨年三月の地震と津波によって生じた原子力発電所の事故による、計り知れない放射線被害は、事故収束と共に終わるわけでなく、遠い将来にまで底知れない悪影響を及ぼすことが、明らかになりました。全国的に人々の間に、原子力に頼るエネルギー政策への疑問が渦巻くように拡がっています。「原子力の平和利用」という言葉そのものが、大きな欺瞞だったとさえ思われます。この「利用」を続ければ、そこから大量の放射線を出す廃棄物が貯まって、何処かに閉じ込める必要が増え、その場所を決めることさえ覚束ないとなれば、平和どころではないでしょう。仮に見つかったとしても、変動し続けている地殻の上に乗っている人間の環境世界に、何時閉じ込めた筈の放射線が吹き出るか、そのことを止める保証は何処にもないからです。

 そういう現実が、この方面の専門家ではない一般大衆の知るところとなった、ということは大変重要なことです。専門家に委ねられ切った事柄が、問題の本質を見えなくし、大きな破壊の危険を増大する、と言うことが露見されたからです。情報開示によって、素人の判断が加わることが、何事にしても大事だ、と言うことが、どの方面にも大切で、この学びは是非とも今後の教訓として残さねばなりません。

 それと関連することですが、今回の悲劇的な事故で一挙に人々の間に「厭核」の空気が広がった割には、先の国政選挙でそれが争点にならなかったことです。原発廃棄を唱えた党もそれほどの集票には至りませんでした。

 それはあの大戦後の「厭戦」気分と、その後の国の歩みにも共通する現象です。世界を相手にした無謀な戦いが、筆舌に尽くせない悲劇を生み、人々の圧倒的な「厭戦」気分の中で新しい「日本国憲法」が生まれました。筆者はその時、まだ少年に過ぎませんでしたが、人々の間に拡がった感激的な喜びを、今でもはっきり覚えています。それは新しい国造りを支える国中の人々の新しい誇りだった、と言っても良いでしょう。憲法は国の基本的な骨組みであって、戦後民主主義を人々の間に、多くの不充分さを伴うものの、じっくりと浸透させてきているものです。

 しかし同時に初めからこの憲法を忌避する人々があり、そういう人たちの手に国民は国の舵取りを任せて来たと言う矛盾があります。「厭戦」も「厭核」も感情です。感情は知性よりも人の人格の深みから出ている反面、又移ろい易いものです。感情は個人的でありどんなに集まっても、示威的な力はあっても、新しい建設的構築には繋がり難いのではないか。「厭戦」も「厭核」も、何らかの新たな取り組みを生むためには「言葉化」が必要です。「厭戦」の中で新憲法という「言葉」を生みましたが、それがさらに人々の多彩な「言葉」を生み出すとき、人々の考え方や身の処し方に変化を起し、具体的な社会形成に展開する筈です。「言葉」は事柄の共有化を生み、未来を開きます。今「厭核」の空気の中で、原発廃棄が叫ばれます。それを人々の間で「言葉」化すること、それは今回の事故の経験を今後の教訓として生かし得るか否かが問われる課題です。

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