12月28日説教
聖 書 ガラテヤの信徒への手紙5章13~15 節
説 教 「律法を全うする愛」
「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。」(14節)
信仰は神に召し出されて「自由」にされることだと、パウロは言います。それはちょうどアブラハムが「生まれ故郷、父の家を離れて」(創世記12章1節)出たことにも通じます。他方、放蕩息子も父の家を出たことでは同じようでしたが、それは「自由」ではなくやがて全てを失って、「もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と告白して、息子としての「自由」は望むべくもないから、「雇い人」として迎えて貰おうと覚悟するに至る道でした(ルカによる福音書15章19節)。雇い人とは取りも直さず奴隷の身分そのものです。彼が家を出たのは、アブラハムのように神の指示によってではなく、自分の意志だったからです。「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」(13節)とパウロは言います。正に放蕩息子は、父の家を出る自由を行使しながら、その自由を、肉に罪を犯させる機会としてしまったことが、現れている訳です。ここに自由によって命の道を生きるには、自分の意志だけではなく神の意志を聞くよすがとしての「律法」が必要だということが示唆されています。奴隷の身を覚悟して父の家に戻った息子を、父は「自由の子」として迎え入れました。自由は、私たちの獲得ではなく、恵みによる愛の賜物なのです。
しかし、律法の民としてのイスラエルは、この律法を生きておられる神の意志ではなく、自己貫徹の具に用いたのでした。悪いことに「割礼」がその支えになっていました。預言者に「国の民すべてに言いなさい。また祭司たちにも言いなさい。五月にも、七月にも/あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして七十年にもなるが/果たして、真にわたしのために断食してきたか。あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。」(ゼカリヤ書7章5、6節)という言葉が残されていますが、この指摘は正に律法全体にも当て嵌ります。こういう自己追求の生き方からは、パウロはそこに他者への愛が抜け落ちてしまうことを警告します。「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」(5章6節)。「愛の実践」とは他者と出会い、受け入れ、立ち止まって耳を傾ける、その為に必要なら自分を控え、譲って共に歩もうとする生活です。「十字架のつまずき」(5章11節)とは、そういう自分自身だけの世界の殻を破って出て行くことに他なりません。アブラハムが神から「わたしが示す地に行け」と聞いて、生まれ乍らの自分の延長線上にある「生まれ故郷、父の家」を、神の指示(律法)に従って、神と人との交わりの道に歩み出すことです。
主イエスは「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(マタイによる福音書5章17節)と言われました。そして、「律法全体」を神への愛と隣人愛に集約されました。「イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書22章37~40節)。ルカ福音書では、その同じ教えを「実行しなさい。そうすれば命が得られる」(ルカによる福音10章28節)と約束されました。実に愛こそが律法を完成し全うして命を得る道、と言うことになります。従ってルカはこういう重要な教えの後に続けて「善いサマリヤ人の譬え」が語る主イエスを描き出して、「行って、あなたも同じようにしなさい。」(同10章37節)と命じられます。私たちが生きる世界には、何処にでも「愛」の機会があります。「飢え‥‥渇いて‥‥、旅をして‥‥宿(なしの)、裸‥‥病気‥‥牢にい」る(マタイによる福音書25章35~36節)「最も小さい者の一人」(同40節)が何処にでもいるからです。自発的な「自由」から出た行為としての愛を、慎ましく実践するとき、私たちは全ての律法を実行出来ない欠けだらけの者でありながら、主の赦しによって解放された者にとって、律法が全うしているのです。その時確かに、「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。」 主イエスの、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイによる福音書7章21節)という御言葉も、ここに実現されます。