2021年1月27日祈祷会(歴代誌下第33章)

歴代誌下第33章

「敬神の王」と称賛を送られるほど、民の信仰を導いたヒゼキヤ王の治世が終わりました。しかし次の王マナセは、ヒゼキヤの事績を無に帰すような「主の目に悪とされること(2)を行います。さらに次の王、アモンも同じく「主の目に悪とされることを行い(22)、たった二年の治世を終えていきます。二代続けて主に背く王のもと、民の信仰は惑わされ(9)、アッシリア帝国に攻め込まれ(11)、謀反によってアモン王は殺害され(24)、国は荒んでいきます。ヒゼキヤ王を用いて王国を導かれていた神さま。しかしマナセ、アモンの時代に国ごと不信仰へと堕ちていきます。このような時代、主は御自分がお建てになった王国を、そこに住まう民を、どのようにお導きになるのでしょうか。

1.人生の重荷を負えないマナセに主は語りかける

12歳で王位についたマナセ王は、ヒゼキヤが苦心して取り除いた聖なる高台を再建させます。いけにえとして自分の子をささげ、占い、まじない、魔術、口寄せ、霊媒と、神さまが禁じられたあらゆる背信の行為をことごとく行います。また「天の万象の前にひれ伏し(3,5)ます。たくさんの偶像も、神殿に置かせ、拝んでいました。自然現象、そして偶像と、目に見えるものにひれ伏していきます。

マナセの姿から、思い当たるものがあります。占いに一喜一憂し、魔術に目を奪われ、口寄せや霊媒といった、誰の言葉かわからないものを信じて生きていきます。自然現象にひれ伏して、目に見える偶像をたくさん置いて、拝みます。子供を犠牲にする姿に、次の世代を顧みず、自分の身の現在の利益ばかりを追求する利己心が浮き彫りにされています。

次の世代を犠牲にして、手当たり次第のものに判断を委ね、頭を下げるマナセ。彼は、人生の責任を自分で取ることが出来ない弱さを抱えていたのではないでしょうか。だから手当たり次第にすがりつき、子供を犠牲にし、目に見えるものを伏し拝む。それは自分の人生の責任に耐えかね、次の世代への責任を負えないようにも思える姿です。

彼はヒゼキヤから受け継いだ、豊かな国を導く大役がありました。王としての責任は重大だったかもしれません。そんな彼とは単純には比べられませんが、誰しも生まれついた命の重みがあります。そこに、その人にしか果たし得ない責任が伴います。その責任を果たしながら、次の世代に世界を託していかなければなりません。

しかし自分の人生の責任の重さに耐えかね、自分にとって都合のよいことにすがり、それに頭を下げ、支配されてしまうことがあります。信仰の道であっても起きうることです。マナセの姿のなかに、すべての人が持っている、人生の責任の重さに耐えかねる弱さが、凝縮しているようにも思わされます。

しかし主は、このような弱さを抱えるマナセにこそ語り掛けつづけます。「主はマナセとその民に語られた(10)。人生の責任の重さと、不安から、なんにでも頭を下げてしまうマナセを、怒りつつも憐れんでいたのは主御自身でした。主はお怒りになっても、マナセに語り掛けることをおやめにならないのです。

2.王国から遠く離れた苦悩のなか、祈る人になる

ついに主は、御自身に立ち帰らせるために、厳しい仕置きをなさいます。「そこで主は、アッシリアの王の将軍たちに彼らを攻めさせられた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、一対の青銅の足枷につないでバビロンに引いて行った(11)。「鉤」というのは、本来は獣を捕えるときに用いる金属製の道具です。アッシリアは青銅の足かせをつないだまま、この「鉤」で引いていきます。マナセ王を獣同然に扱い、屈辱を与えます。手当たり次第にすがりつき、新しい世代を犠牲にして、目に見えるものを伏し拝む。マナセの姿は、あたかも尊厳を損なった人間の象徴のようにも写ります。

エルサレムから遠く離れた地バビロン。そこで、マナセは祈りの人に新しくされていきます。「彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり、祈り求めた。神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った(1213)ある人は、マナセ王を「旧約聖書中の放蕩息子(H・マーシャル)と評します。豚のイナゴマメを食べていた放蕩息子が、悔い改め、父のもとに帰って行きます。そして父の恵みに活かされている自分の姿を取り戻します。神さまから王国を受け継ぎながら、恵みを台無しにして、獣同然の扱いを受けます。苦悩のなかで主に立ち返るマナセは、たしかに放蕩息子のようです。

マナセにしか見られないものもあります。祈りです。このときのマナセが祈りは、旧約聖書の続編(カトリック教会は聖書に含む)「マナセの祈り」の名で収められています。このような言葉があります。「いつまでも怒り続けてわたしに災いを下すことなく、罪に定めて、地の奥底に捨てないでください。主よ、あなたは悔い改める者の神だからです(マナセの祈り14)ここにはマナセに示されたまことの主の御姿が豊かに語られています。悔い改める者の神となってくださるお方が主なのです。

「こうしてマナセは主が神であることを知った(13)。人生の責任をとることのできない弱さを抱え、あらゆるものに頭を下げ続けてきたマナセは、自分の人生の主人が神であることを知りませんでした。しかし王国から遠く離れたところで苦悩し、祈るなかで、主が神だと知ったのです。

3.命の重みはそのままに、神の王国に生きる平安

国に戻されたマナセは、心を入れかえエルサレムのために尽くします。偶像も取り除いていきます。こうしてマナセは回心するのですが、民のなかに背信の頃のしこりが残りました。「しかし民は、彼らの神、主に対してではあるが、依然として聖なる高台でいけにえをささげていた(17)さらに、その次の王アモンは、ただ主なる神さまに背くばかり、短い治世に終わります。

マナセの祈りと悔い改めはこの時ばかりのものだったのでしょうか。そうではないと思います。マナセは、苦悩のなかでささげた祈りの姿、そして主を神と知る奇跡を遺してくれました。「神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された(13)彼が、バビロンに囚われながら祈ったことは「王国に戻る」ということでした。彼は神の王国に戻ったのです。

「自分の命の責任は、自分で取る」ことが当然のように語られる地上にあって、わたしたちの不安が尽きることはありません。命は、わたしたちが一人で負うには重すぎるのです。不安のあまり、不確かな言葉に依りすがり、判断を委ね、目に見えるものを羨み、ひれ伏してしまいます。次世代を犠牲にして利益を追い、人間の尊厳を失うことすら起きます。

マナセが苦悩のなかで祈り、まことの神と出会ったとき、彼は人生の主人が神であることを知りました。自己の命の責任をとってくださるお方がいるのです。重荷を背負ってくださるお方がいるのです。その方が主である神なのです。

囚われ、十字架へと引かれていくなか、苦悩のなかで祈る姿を示されたイエス・キリスト。この方こそ、わたしたちの主です。罪の囚われまで、一緒に来てくださり、そこにも神の王国があることを示してくださいました。主は御自分がお建てになった王国に、必ずわたしたちを引き戻されます。それほど神の王国は地上に突入しきっているのです。その命の主が、命の用いどころもすべて示してくださいます。主は、悔い改める者の神なのですから。

2021年1月20日祈祷会(歴代誌下第32章)

歴代誌下第32章

歴代誌下第29章から続いてきたヒゼキヤ王の生涯が、この第32章で終わります。それにあたり「ヒゼキヤの他の事績および敬神の行為の数々(32節)」と、歴代誌の著者も賛辞を惜しみません。荒れ果てた神殿を自ら修復し、再び民を礼拝の喜びへと導き、過越祭を復興し、祭司やレビ人の礼拝への務めを保護し、礼拝に集う民にも恵みが行き届くように制度を整え・・・。まさにその「敬神の行為の数々」を成し遂げたヒゼキヤ王です。

 ところがその賛辞の影に隠れるように、これから南ユダ王国が向かって行く破滅の兆しについても触れられていました。「しかし、バビロンの諸侯が、この地に起こった奇跡について調べさせるため、使節を遣わしたとき、神はヒゼキヤを試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨て置かれた(31節)」このころはまだ新興の小国に過ぎなかったバビロン。しかし、後に大帝国となって南ユダ王国を滅ぼします。その小さなきっかけとなったのは、ヒゼキヤ王の時でした。しかも、このとき主なる神さまはヒゼキヤ王を「捨て置かれる」のです。これほどの敬神の王が、なぜ捨て置かれるのでしょう。

1.センナケリブ王の「神の無い言葉」による攻撃

 本章はまず、アッシリア帝国の王センナケリブによる攻撃からはじまります。ヒゼキヤ王は将軍や勇士たちと協議し、民とも協力して、全力を尽くして国を守ります(3節)。敵の手に渡るくらいならばと水を枯渇させ(4節)、守りを固めるために城壁を強固にします(5節)。そして、全国民を勇気づけるために、ヒゼキヤ王は主なる神さまの加護が必ずあることを、説教するのでした(7-8節)。

人事を尽くして、み言葉に聴くヒゼキヤ王と民の姿に信仰の証を見る思いです。これにたいしてセンナケリブが採った戦法はなんだったでしょうか。言葉です。「ヒゼキヤに欺かれ、唆されてはならない。彼を信じてはならない。どの民、どの国のどの神も、わたしの手から、またわたしの先祖の手からその民を救うことができなかった。お前たちの神も、このわたしの手からお前たちを救い出すことはできない(15節)」さらにセンナケリブ王は手紙まで書き送ります。「わたしの手から自分の民を救うことのできなかった諸国の神々と同じように、ヒゼキヤの神も、わたしの手からその民を救い出すことはできない(17節)」

 このセンナケリブが抱く「神」という存在への認識は、じつは時代を超えた普遍的なもののようにも思います。「人の手の業に過ぎない諸国の神々と同じように考えて語った(19節)」。「『神』という存在が、ただの思想や思念の産物だったら、なにを信じればよいのか」センナケリブの「神の無い言葉」が民に恐れと戸惑い(18節)を与えます。

2.人事を尽くしたからこそ、主に祈るヒゼキヤ王

 ヒゼキヤ王は、このセンナケリブの言葉にどうやって立ち向かったのでしょうか。たった一つのことでした。祈りです。彼は仲間とともに祈ります。「ヒゼキヤ王と預言者、アモツの子イザヤはこの事のために祈り、天に助けを求めて叫んだ(20節)」すると、神さまはたちどころに御使いを遣わし、アッシリア帝国の陣を全滅させられたのでした。センナケリブ王は哀れ、面目を失って命を落とします。

 主なる神さまが、センナケリブ王の言葉に戸惑い、恐れた民を守るため、お待ちになったことは何か。それは祈りでした。そこにはなんの条件も語られていません。ただヒゼキヤ王とイザヤも含めた預言者の祈りにお聴きになったのみです。

 では、彼らがセンナケリブ王に立ち向かうために尽くした数々の行いは意味のないことだったのでしょうか。そうではありません。彼らは確かにヒゼキヤ王の号令一下、出来うる限りの備えを積み重ねてきました。その防衛の堅さをみて、センナケリブ王は言葉で信仰の根幹を揺さぶることにしたのです。信仰を襲ってくる「神の無い言葉」には、もはや切なる祈りしかない。それは人事を尽くした後に招来された出来事です。そこで、人の業ではもはや太刀打ちの出来ない「神の無い言葉」と戦うためには、祈りに導かれなければならないのです。そのことを、20節から21節、なんの条件もなく神さまがアッシリア帝国を全滅させ、王国の恐れと戸惑地を根こそぎ、取り除いていることからも伝わってくる思いです。

3.心を知り尽くすために、主は見つめておられる

 アッシリア帝国との戦いののち、もう一度、ヒゼキヤ王は祈りへと導かれます。病に襲われます。同じ出来事を記す列王記下第20章によると、ヒゼキヤ王は死の病に罹り、イザヤに執り成しを願います。涙ながらに祈ったと記されます。

「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた」そこにイザヤを通して、このように預言が語られます。「主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう(列王記下第20章3-5節抜粋)」ここでも改めて、ヒゼキヤ王は主にのみ頼る祈りへと導かれています。

ヒゼキヤ王は病を癒されました。ではその後は信仰深く歩むかと思うと、恵みに相応しく答えることが出来ず、思い上がることもあったようです。思い上がりに気づいて、また遜ります。敬神の王とは言われながらも、必ずしも完璧とは言えない歩み。そこには、むしろ真実味のある信仰者の歩みが映し出されているようにも思います。

さて、神さまの御前に歩んだヒゼキヤ王が、最後に神さまに「捨て置かれた」のは、なぜか、という問いに至ります。こう直前に書いてあります。「神はヒゼキヤを試み、その心にあることを知りつくすため(31節)」。列王記の記述に頼れば、ヒゼキヤ王はここでバビロンからの遣いを歓迎し、国の持てる富、財産、はては武器まですべてを見せます。よもやその判断が、後々にバビロンからの攻撃によって国が亡びるきっかけになるとも知らず。ただ歴代誌はそのことに触れません。ヒゼキヤ王の生涯の最後にどのような判断をするのか「心にあることを知り尽くすために神さまがそのままにされた」ということに焦点を注ぎます。

人事を尽くしきった後に、それが目に見えて有効であっても、あるいは無謀なことのように思えても、最後は祈りに導かれるかどうか。主に祈って生きる、恵みの人生を選ぶことができるか。主は待っておられます。

イエスさまが大祭司の家に連行されたとき、ペトロは死力を振り絞ってついていきました。しかし三度の試しに恐れをなし、「主など知らない」と否みます。「おまえはイエスを信じるのか」と問われ、恐れをなしたのです。その姿を、イエスさまは振り向いて見つめられるのでした(ルカ22:61)。ペトロの心を知り尽くされるために、そのままにされたのです。ペトロも自分自身の心を、涙とともにそこで知らされます。それはペトロが人事を尽くして主に従おうとしたからこそ招来されたことです。

ヒゼキヤ王も心を知り尽くされる人生を歩みました。神さまはわたしたちの心を知り尽くそうとしておられます。「神などどこにいるのか」と語ってくる諸々の言葉から魂を守られるために。救いを求め、叫ぶ祈りを、主はお待ちです。主は、心にあることを知り尽くしたいと願っておられるお方なのです。

2021年1月13日祈祷会(歴代誌下第31章)

歴代誌下第31章

 

ヒゼキヤ王はさらに「神を求めて始めたすべての事業(21節)」を推し進めます。神殿の修復(29章)、過越祭の復興(30章)を経て、次に取り掛かったことは、礼拝の奉仕者を守ることでした。「ヒゼキヤは・・・祭司とレビ人がそれぞれの任務に従って・・・献げ物をささげ、感謝し、賛美しながら奉仕するように定めた(2節)」。礼拝にもっぱら仕える祭司を守る制度を整えます。過越祭を献げられた大きな喜びを一時のことに終わらせるのではなく、継続できることに心を尽くします。永遠にして、今も生きておられる神さまとのお交わりは、ひと時の精神的高揚では終わりません。継続する愛に現れます。神を求めるヒゼキヤは、礼拝継続のために奉仕者を守る改革を推し進め、民もそれに応えていきます。

1.神さまを求める思いに集中するために

 このヒゼキヤ王の改革に先立ち、偶像の破壊が伝えられています(1節)。これまで何人もの王が偶像崇拝の虜となり、主なる神さまへの一途な愛を捨て去ってきました。偶像崇拝の根絶は、イスラエルの王や民にとっては悲願です。1節でそのことが語られるのは、独立した出来事ではなく、むしろヒゼキヤ王の改革の大切な前哨戦となっています。

 1節でイスラエルの民が偶像崇拝の根絶に目覚めたのは、前章での過越祭によるものです。王と民が一つとなって、先祖を救いあげた主なる神さまを喜び、誉め讃えました。そのことが、信仰の目覚めを与えます。木や石で刻まれたものをありがたがっていた我が身を振り返り、物言わぬ偶像や、神さまへの傲慢な思いの象徴でもあった高台を破壊します。命の源ではないもの、命を損なうもの、命を養わないものを拝んでいた我が身の不自然に気づくわけです。これは正気を取り戻した姿とも言えます。そして、まことに仕えるべきお方へ思いを集中します。彼らが偶像を拝んでいた頃は、献げ物や時間も、それだけ偶像崇拝に奪われていました。偶像崇拝はたくさんの神々を拝むことです。たくさんのものに心を奪われ、富も時間も精神も、一つのことに集中できません。いたずらに人の心を不安定にします。イスラエルの民はそれらをすべて廃棄します。そして、神さまへとただ一点に集中していきます。

2.豊かに恵まれたからこそ、十分の一も豊かに

この神さまを求めることへの集中が、ヒゼキヤ王の改革を下支えしていくことになります。偶像崇拝の根絶のあとに行われたのが、祭司やレビ人の務めを整えることでした。そのなかでも一番に行われていることは、祭司とレビ人の生活の保障です。3、4節には、ヒゼキヤ王が率先して自分の財産から献げ物をささげ、民にもそのようにさせます。さらにそこから、祭司やレビ人が律法の規定のとおりに取り分を受け取れるようにします。「更に彼はエルサレムに住む民に、祭司とレビ人の受けるべき分を提供するように命じた。これは、祭司とレビ人が主の律法のことに専念するためであった(4節)」。「主の律法のこと」と、律法に関わることの全体を含めるような言い方がされています。つまり律法をとおしてお定めになった、礼拝にまつわるすべてのことに、祭司とレビ人が生活の憂いなく専念できるようにと、ヒゼキヤは彼らを守ろうとするのです。

ヒゼキヤがこうしたのは、彼自身の悔い改めもあると思います。前章では、祭司やレビ人が過越祭の期間を覚えておらず、第一の月にささげられないという不祥事が起きました。そのことに祭司やレビ人が恥じ入りました。しかし、それは祭司やレビ人だけの問題ではありません。神殿が荒れ果てて、礼拝がないがしろにされたから、祭司やレビ人は律法の説き明かしと礼拝への導きに専念が出来なかったのです。生活が保障されないなか、祭司やレビ人は、生きていくために自分の糊口を凌いでいたのでしょう。生活に拘泥するなかで、律法を守るという聖なる務めも疎かになってしまったのです。それは、ひいては民全体の霊的な貧困を招いたということです。ヒゼキヤ王はそこを悔い改めたというわけです。

驚くべきことに、民はそのことにすぐさま応じます。大量の奉献物がなされます。美味しい食べ物が運ばれます。積み上げられます(5-8節)。それは、ヒゼキヤ王も驚いて尋ねるほどでした(9節)。祭司長アザルヤは感謝して王の問いに答えます。「主の神殿に献納物の奉納が始まってから私たちは食べ物に不足はなく、むしろたくさん残ってしまうほどです。主はその民を祝福してくださいました。この大量の物が残っています(10節)」これはどうしたことでしょうか。民たちは生活費を削って、あるいはへそくりをはたいて献げ物に応じたのでそうか。

そうではなく、ここに1節の前置きがかかるのです。偶像崇拝を根絶し、彼らは命ならぬものに費やしていた時間、富、虚しいささげものを改めました。そのことで虚しいものに費やしいていたものが浮いたのです。その浮いたものを、主なる神さまに集中させることができたということなのです。加えて、律法は主なる神さまへの献げ物は「十分の一」と割合で定めています。「生活の資のすべてを献げよ」ということではありません。民が頂くお恵みの初物の十分の一は神さまのものである、ということなのです。全体の十分の一ということは、全体がまず豊かになったということです。民は偶像崇拝を根絶したことで、全体が豊かになりました。だから献げ物が積み上げられるほどに献げられたのです。ヒゼキヤ王にとっても驚きだったということは、これもまた神さまを求める信仰に、神さまが大きな恵みをもって応えてくださった、ということになるでしょう。

 

3.神への従順を満たすキリストへの信頼

積み上げられるほどの献げものは、祭司やレビ人の生活を保障するに十分でした「むしろたくさん残ってしまい」ました。ヒゼキヤ王はその有り余る恵みを、分配していきます。それは「彼らの登録は、そのすべての幼児、妻、息子、娘、すなわち全会衆を含んでいた。彼らも聖別された物を忠実に取り扱うために聖別されていたからである(18節)」と、礼拝に集うすべての人々に分配されていきます。神さまの御前に献げられた、尊い犠牲の分け前がすべての人たちに分け与えられていきます。こうして、ヒゼキヤ王が次に推し進めてきた、礼拝の継続のための必要な事業は成し遂げられたのでした。

イスラエルの民は過越祭をへて、信仰に目が覚めました。偶像崇拝を根絶し、まことに礼拝すべき主なる神さまに心を集中して求めます。そこに豊かな恵みを分かち合う礼拝の群れが、生き続けていくこととなりました。このヒゼキヤの改革を通して語られていることは、神さまを求めることへの集中と共有、そして献げられた有り余るほどの恵みの分かち合いだと思います。

教会にとって最も大切な献げものは主イエス・キリスト御自身です。ヘブライ人への手紙は、キリストの犠牲の意義を伝えます。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり・・・(5:8-10)」わたしたちは、キリストの従順、すなわち犠牲が保証する信頼性を求め、集中します。そこには神さまとの永遠の交わりが保証されているからです。これがヒゼキヤ王も求めた、礼拝が続いていく基礎となるものです。わたしたちは、苦しみにあっても神さまへの従順を守られたキリストの恵みを分かち合う群れなのです。

2021年1月6日祈祷会(歴代誌下第30章)

歴代誌下第30章

 

ヒゼキヤの王としての初仕事は、神殿の修復と礼拝の再開でした。民と一体となって礼拝の再開を成就させた王は、民と共に神さまを讃え、喜びます(前章最後を参照)。手を止めることなく、さらに本章ではヒゼキヤ王は、過越祭の再開にとりかかります。その結果は「エルサレムに大きな喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時代以来、このようなことがエルサレムで行われたことはなかった(26節)」と、ソロモン以来の礼拝へと成就しました。ソロモンが神殿での初めての礼拝をささげたときは、密雲が立ち込めて主の臨在が示されました(歴代誌下5-6章)。今回のヒゼキヤ王の礼拝で、喜びは神殿を超えて「天に達した(27節)」とありますから、ソロモン以上の喜びがもたらされたと考えてもよいでしょう。ぜひとも、ヒゼキヤ王と民が力を合わせて過越祭を復興させる姿に、喜びの礼拝への道筋を尋ねたいと思います。

1.課題から始まる過越祭への準備と招待

 神殿の修復と礼拝の再開はヒゼキヤ王と民を一体にしました。喜びの中に勢いもあったかと思います。けれども彼らは、決してその勢いに任せて次の段階に進むことはいたしません。ヒゼキヤ王による修復は、一年の第一の月の16日に完了したわけですが、この第一の月は、過越祭をささげる月と定められていました(出エジプト第12章)。本当ならば速やかに過越祭に取り掛からなければなりません。しかし彼らは課題に気づきます。「それは、まだ自分を聖別した祭司の数が十分でなく、民もエルサレムに集まっていなかったので、その時に過越祭を行うことができなかったからである(3節)」そこで彼らは第二の月に延期することにします。これは一応、律法で認められている処置です(民数9:10-11)。ですから、開かれた協議(2節)は恣意的なものではなく、律法に根拠を置くものです。

 ただしこの事態は単に「過越祭の礼拝をするための人員が不足している、だから延期しましょう」というような、妥協して済む問題ではありませんでした。自分を聖別する祭司が不十分であったということは、本来捧げるべき時期にきていた第一の月のために「自らを清めることを怠っていた祭司が大勢いた」ということです。それは、神殿が閉じられ、礼拝が捧げられていなかった期間、祭司たちがすっかりと過越祭を捧げることへの緊張感を解いてしまっていたということでもあるのです。

 過越祭は、イスラエルがイスラエルでありつづけるための重要な祭儀です。エジプトの奴隷の家から導き出してくださった主の堅い契約を思い起こし、災いが家の戸口を過ぎ越してくださる憐みを覚え、子孫に伝えます。これを祝わなければ、彼らは「贖われた主の民である」という自己理解を捨ててしまうことになるのです。そういった信仰の緊張感が薄れたことで、祭司たちは第一の月に向けて自らを聖別することを怠っていきました。そのことに気づいた彼らは「恥じ入って(15節)」います。神さまの救いの御業を忘れ、自らを聖別することを忘れてしまったことに気づくこと。それは大切な恥じ入りだと思います。恥じ入りながらも、彼らは健気に急いで聖別し、過越祭に加わります。

2.招きに応える謙虚な姿に、神の御手が働く

 さて、自ら緊張を解いてしまっていた祭司たちを恥じ入らせたのは誰でしょうか。それはなんと、北イスラエルから南ユダ王国に渡って、過越祭に参じてきた民たちでした。「ただアシェル、マナセ、ゼブルンから、ある人々が謙虚になってエルサレムに来た。また、ユダに神の御手が働いて、人々の心が一つにされ、主の言葉に従って王と高官の命令が実行に移された(11-12節)」謙虚になってやってきた人たちとは、一部の北イスラエル王国の人々です。

 このほどヒゼキヤ王は、過越祭の復興に際して、南ユダ王国の人々だけではなく、北イスラエル王国の人たちにも「一緒に過越祭をささげよう!」と招待状を出していました(5節)。ところでヒゼキヤ王の即位年は前716年頃とされて、アッシリア帝国による北イスラエル王国の滅亡(前722年頃)の後のことです。ですから、ここでヒゼキヤ王が声をかけているのは、滅亡した後の北イスラエル王国の難民、あるいは被占領民ということになります。

 彼らの大部分は、ヒゼキヤ王の招待状に冷笑と嘲りを向けます(10節)。「主なる神さまに立ち帰ろう!国を失ってしまった君たちこそ、神さまの憐みを受け、主にお仕えしていく人生に導かれるべきだ」そう勧めるヒゼキヤの使者たちの姿は、まるでイエスさまに宣教命令を受けて、福音と書簡をたずさえて町々を巡り歩く使徒たちのようでもあります。彼らに返される冷笑と嘲りに、福音が受け入れられることの難しさを知らされます。主の慰めを拒む魂は多いのです。悲嘆にくれて、心が頑なになっているからです。しかし、なかには過越祭への招待状を受け取る人びとがいました。謙虚(原意は「膝を曲げる」)な姿でエルサレムに詣で(11節)、ヒゼキヤ王以下、南ユダ王国の人々と心を一つにします(12節)。主に背いた挙句の亡国を目の当たりにし、傷つき、砕かれた魂を抱えてやってくる彼らに「神の御手が働く」様子は、頑ななファラオからイスラエルを救い出した記念の過越祭に相応しいものです。そして、その謙虚な姿が、聖別を忘れていた祭司たちをも恥じ入らせるのでした。会衆の謙遜なる礼拝へのお姿は、ときに緊張を緩めてしまう霊的指導者を恥じ入らせ、いっそう聖別への思いを掻き立てます。

3.主の過越しを守るわたしたちにも通じる姿

 しかしながら、こうして集まった人々にも問題が残されていました。あまりにも過越祭から離れていたため、彼らも身を清めることを忘れて、礼拝の手順を誤ってしまうのです(18節)。ここで過ちを包み込むのはヒゼキヤ王の祈りの姿です。即座に彼らの為に執り成しの祈りを捧げます。

「恵み深い主よ、彼らをお赦しください。彼らは聖所の清めの規定には従いませんでしたが、神、先祖の神、主を求めようと決意しているのです(18-19節)」

なんと魂の配慮に満ちた祈りでしょうか。招待状を送ったヒゼキヤ王本人が、身を清めることを忘れた人びとのために祈ります。主を求める決意をどうか顧みてくださいと、執り成して祈るのです。そこには「礼拝に招いた人が集ってくれて、共に主を求める人となってくれた」喜びがあります。そして、共に過越祭を祝うものとされた信仰の連帯があります。「こうして、ユダの全会衆、祭司たちとレビ人、イスラエルから来た全会衆、イスラエルの地から来た寄留者、ユダに住む者が共に喜び祝った(25節)」彼らは分け隔てなく大いに喜びます。

 この過越祭の復興は、自らを聖別した祭司が不十分だったという霊的課題から始まりました。しかしその課題をみ言葉もって対処し、すべての人を過越祭に招きます。招きに相応しくないことが起きても、執り成しの祈りをささげ、かえって一つとされていきます。これはわたしたちにも通じる姿です。主の過越である聖餐に招かれ、主の血と肉によって、すべてを贖われていることに信頼し、主を求める人になってほしいと主御自身が願っているからです。主の過越しのために、課題に対処し、すべての人を招き、執り成すヒゼキヤ王の姿が、一つの良い模範をして示されているように思います。

2020年12月30日祈祷会(歴代誌下第29章)

歴代誌下第29章

 

前回の第28章まで、預言者イザヤ(注:いわゆる「第一イザヤ」)が生きた時代の王、ウジヤ、ヨタム、アハズの治世まで読み終えました。本章から第32章まで、その四人目の王、ヒゼキヤの治世について書かれています。4章分にまたがり、じつに丹念に描かれます。彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った(2)とあるように、堕落の一途を辿るばかりの南ユダ王国にあたかも「中興の祖」のごとくに現れました。彼は閉ざされていた神殿礼拝を瞬く間に建て直し、宗教改革を起こし、アッシリア帝国からの国難に直面します。そして人生の最後には病を得ますが、その都度、イザヤの語るみ言葉に耳を傾けつつ、王としての務めを果たしていきました。

 本章はその治世の始まりに、ヒゼキヤが行った神殿の修復と礼拝の再開について記されます。民の先頭に立って神殿修復を導き、礼拝の再開を大いに喜ぶ王の姿に、ダビデの血筋がやがて咲かせたもう「エッサイの花」キリストが浮かび上がるようです。

1.率先して礼拝再開を目指す大工の青年王

 祭司やレビ人、民がヒゼキヤ王の導きを信頼し、求めに応じたのはなぜでしょう。その治世の第一年の第一の月に、ヒゼキヤは主の神殿の扉を開いて修理し・・・(3節)」この一節を読む限りでは、ヒゼキヤ王が王として命じて修理をさせたようにも思えます。しかし原典を確認すると、「修理し」のところは、しっかりと単数形が用いられており、「扉」は複数形で記されていることがわかります。つまりこれは、ヒゼキヤ王が自ら、閉ざされてしまった神殿の扉という扉を自ら、修復して回ったのだということです。わたしは、彼を、やはりナザレの大工だったイエスさまにちなんで「大工王」と名付けたいと思いました。

ヒゼキヤ王が自ら閉ざされた扉を修復したのは、彼の先代アハズ王が、打たれても打たれてもまったく悔い改めず、挙句のはてに神殿の祭具を粉々にくだき、扉を閉じてしまったことによります。自分の父の姿を見るに、ヒゼキヤ王は主に背き続ける悲しみを痛切に味わったことでしょう。勘気に任せて祭具と砕き、扉を閉じてしまう姿は、神さまとの交わりをかなぐり捨てて、心を閉じてしまう象徴的な姿でもあります。ヒゼキヤ王は、王に即位してさっそく、その父の姿を執り成しつつ、自分の務めとして神殿での礼拝の再開に勤しみます。閉ざされた扉を、もう一度、開くことができるように、単身こつこつと大工に励む姿は、まるでイエスさまのお姿のようではないでしょうか。導かれる彼らは、途中、お互いを助けることもしていました(34)。「この王様の後ならばついていける!」と、ヒゼキヤ王が率先して礼拝再開にむけて一人、先頭を切る姿に、民や祭司たちは導かれたのだと思います。

2.礼拝のために一日も無駄にせず聖別し準備する

 さて、本章は日付が分かるように記されているところが興味深いところです。「その治世の第一年の第一の月に(3節)」と、ヒゼキヤ王は即位して真っ先に神殿修復に取り掛かります。これは今の暦でいうところの正月元旦です。その日にヒゼキヤ王は祭司とレビ人を招集して、礼拝に備えるために指示を出します。「レビ人よ、聞け。今、自分を聖別し、先祖の神、主の神殿を聖別せよ。聖所から汚れを取り去れ(5節)」その後、礼拝再開に向けてヒゼキヤ王の指示に従うレビ人や祭司たちが自らや神殿を「聖別」していることが記されています(15,17,18)。ところでこの「聖別」について、よく聞く言葉ですが、具体的には何を意味しているのか、少し語っておきたいと思います。

聖書でいうところの「聖」の意味は、原語:カドーシュが「分ける」という意味を持つことから、聖と俗を分ける、ということになります。聖別とは、聖なるものや行為のために、特別に取り分けて、区別を施すことです。具体的には、礼拝のための人やモノ、場所を、特別な祈願と行為で「これは聖なるものとされた」と認識することです。この場合の特別な行為は、聖別の油を注いだり(民数記7:1)、いけにえの血を振りかけたり(レビ16:19)、汚れたものに触れないよう身を清めたり(レビ記21)することを指します。こういった目に見える行為によって「これは俗から分けられ、聖なるもののために用いられる」と、はっきりと認識を共有します。そして安心して、それらを礼拝のために、主にささげることとなります。

彼らは礼拝再開のための聖別を16日間で終えました(17)。そしてすぐヒゼキヤ王に準備完了を報告し(19)、次の日の朝にはヒゼキヤ王は礼拝の準備を命じています。元旦初日から、神殿を修復して礼拝再開に取り掛かった王の姿は、これに続く人たちを速やかにその奉仕へと導き、一日も無駄にすることなく礼拝再開の準備へと粛々と進んでいきます。そして、準備が整った次の日の朝には、多くの捧げものが捧げられて、礼拝が始まるのでした。

礼拝の再開に向けて一日も無駄にすることなく、準備を積み重ねるヒゼキヤ以下、彼らの姿には、礼拝への準備は、毎日の歩みから始まっていることを教えられます。わたしたちは今、幸いにも感染症への対策を講じながら、6日間を次の礼拝への準備の期間として、7日目には礼拝をささげます。そこには、次の礼拝への準備が途絶えることなく巡っています。日曜日が終わり、月曜日には、もう次の日曜日の準備が始まっているのです!毎日の生活のなかで身も心もみ言葉によって清められることを願い、自らを聖別します。新約では、パウロがこのように語っています。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です(ロマ12:1)」ここには旧約のように、聖と俗を分ける、というよりも、俗の中にあって聖なるものに我が身をささげる、という礼拝への新しい理解が示されているように思います。

3.聖と俗の隔てを裂き、導いて下さるイエスさま

 礼拝が再開し、先頭きって導いていたヒゼキヤ王は「こうして主の神殿における奉仕が復活(!)した。ヒゼキヤとすべての民は神が民のためにしてくださったことを喜び祝った。この事が速やかに行われたからである(36節)」我が身のこととして民と一緒になって喜ぶのでした。25歳、礼拝を愛し、自ら槌を打つ青年王が、自分を導いてくださった神さまに感謝する清々しい姿のように思えます。

 ナザレの匠の家にお育ちになったイエスさまは礼拝への新しい理解をも示された方でした。その時代、聖と俗の分断を象徴するように、神殿の内奥の垂れ幕が神と人の間を隔てていましたが、御自身がいけにえとしてささげられたとき、それは真っ二つに裂けたのでした(マタイ27:51,マルコ15:38,ルカ23:45)。礼拝を建て直す「信仰の匠」が、王でありながら御自身の身をささげ、再び閉ざされた信仰の道を開いてくださいました。この尊い清めの血によって、聖と俗はもはや隔てられず、人生のすべての時をもって人は礼拝をささげることができるようになりました。相応しくないものすら、主は喜んでお受けになります。それは救い主キリストの血が清めて、聖別してくださるからなのです。礼拝を導く主が、礼拝を再開した民と一緒になって喜んでくださいます。新しい一年も、聖への道の先頭に立ってくださいます。聖と俗を分け隔てなさらず、わたしたちを聖なる者にしてくださいます。 

 

2020年12月23日祈祷会(歴代誌下第28章)

歴代誌下第28章

歴代誌が取り上げる南ユダ王国の王たちのなかでも、もっとも頑なな王はこのアハズかもしれません。神さまに背く王は幾人かいます。そのような王たちは、戦争のなかで命を落としたり(アマツヤ)、人生の途中から背いて怒りを招いたり(ヨアシュ)、ただ一度、大きな罪を犯し、重い病に罹って命を落とします(ウジヤ)。しかしこの章が伝えているアハズ王の歩みは、人生の初めから神さまに背き、打たれても打たれても背き続け、一生を終えます。生涯を通して神さまに背き続ける頑迷さは、王たちのなかでももっとも深刻です。

1.打たれても打たれても回心しないアハズの頑迷

このような、アハズの破滅的も言える頑迷さはなにを示しているのでしょうか。背信の始まりは3節です。「主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、ベン・ヒノムの谷で香をたき、自分の子らに火の中を通らせた」この「慣習」は北イスラエルで行われていた偶像礼拝の影響と思われます。恐ろしいことが書いてあります。文字通り、自分の子供を炎に投げ込む慣習です。生きている人をいけにえにして捧げるいわゆる「人身御供」を神さまは特にお嫌いになります。それは、贖罪の犠牲の強要だからです。自分では贖いきれない罪を、他者におしつけることで、自分は赦されたと見做します。これは自覚的な責任逃れです。しかも潜在的にはその背きの罪の大きさに気づいているのです。しかしそれを認めない魂の暗さが、ますます頑迷を深めていきます。

主はそんなアハズを立ち帰らせるために次々と手をお上げになります。まずアラム軍です。「それゆえ、その神、主はアハズをアラムの王の手に渡された。アラム軍は彼を打ち、多くの者を捕虜にしてダマスコに連れ去った(5節)」次に北イスラエルです。「アハズはイスラエルの王の手にも渡され、大きな損害を被った。レマルヤの子ペカは、ユダで一日のうちに十二万人を打ち殺した(5-6節)」。さらにアッシリア帝国「アッシリアの王ティグラト・ピレセルはアハズを援助するどころか、攻めて来て、彼を苦しめた(20節)」その合間にはエドム(17節)、ペリシテ(18節)と、東西南北の国々から攻め込まれ、しかも連戦連敗です。これほど連続して打たれる王も珍しいことです。

しかもアハズは自分を打ってくる国にへつらい、あるいはその国の神々を拝みます。「アハズは主の神殿、王宮、高官の家の財産を一部アッシリアの王に差し出したが、何の助けにもならなかった(21節)」「しかし、その神々はアハズにとっても、すべてのイスラエルにとっても、破滅をもたらすものでしかなかった(23節)」ここまで頑ななアハズの姿を見ると、驚くよりほかありません。しかし同時に、打たれれば打たれるほど、心が頑なになり、自分にある原因を省みることができなくなり、殻に閉じこもり、へつらうようになる、心に潜むものを示されているようにも思えます。

このアハズ王は、同時代に活躍した預言者イザヤからも、主に立ち帰るようにと勧告されていました。イザヤが携えた主の言葉を聞いたアハズは、こう語ります。「主は更にアハズに向かって言われた。『主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に』」12しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない(イザヤ7:10-12)」アハズはもっともらしいことを言っているようにも聞こえますが、そうではなく、ただ神さまに頑ななのです。

2.具体的に御心に応える行いを主にささげる

このような姿を露わにするアハズ王の一方、この章では珍しくも北イスラエルが主の御心に立ち帰ることをしていました。6節にもあったように、北イスラエルは、このたびはアハズを打つために用いられます。しかし主の御心を行うにあたり、必要以上のことをしました。そのことを預言者オデドに戒告されます。「見よ、あなたたちの先祖の神、主はユダに対して怒りに燃え、彼らをあなたたちの手に渡された。あなたたちも、天に届くほどの憤りをもって彼らを殺した。しかし今、あなたたちはユダとエルサレムの人々を服従させ、自分たちの男女の奴隷にしようと思っている。しかし、あなたたち自身はあなたたちの神、主によって罪に問われずに済むだろうか。 今、わたしの言うことを聞き、兄弟の国から連れて来た捕虜を帰しなさい。主はあなたたちに対して激しく怒っておられる(9-11節)」南ユダに対して与えた報いが過度であったことを咎められます。ここで北イスラエルは悔い改めます。これもまた珍しいことです。しかも口先だけの悔い改めではありません。実際に、自分たちの過ちで傷ついた人たちを慰め、癒します。「捕虜を引き取り、裸の者があれば戦利品の中から衣服を取って着せた。彼らは捕虜に衣服を着せ、履物を与え、飲食させ、油を注ぎ、弱った者がいればろばに乗せ、彼らをしゅろの町エリコにいるその兄弟たちのもとに送り届けて、サマリアへ帰った(15節)」これは自身の咎で苦しむ人を助けて、慰めるということです。口先だけの悔い改めではなく、行いによる回心です。痛む人を助けることで神さまの求めに答える行為です。それは、神さまへの最善の応答です。「善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです(ヘブライ13:16)」。御心に答えることこそ、いけにえだと言っています。神さまが求めているいけにえは「人身御供」のような犠牲を強要することではないのです。そのことで、神さまの御心に向きなおっていることを示します。

3.頑なさを砕くインマヌエル預言の成就

一方、アハズはどれほど打たれても神さまに向きなおりません。ついに、神殿の祭具を粉々に砕いて、扉を閉めてしまいます。「アハズは神殿の祭具を集めて粉々に砕き、主の神殿の扉を閉じる(24節)」礼拝に必要なものを破壊し、扉を閉じます。神さまとの交わりを、まったく破壊し、封じ込めてしまうのです。アハズはこうして頑なな心をそのままに、礼拝を放棄していきます。

アハズはじつに頑なな王でした。祭具を粉々に砕く姿は印象的です。神さまはただアハズの頑なさを粉々に砕かれる祭具を通して受け止められます。こんな頑ななアハズに対して語ったイザヤの預言がこうでした。さきほど引用した箇所の続きです。「イザヤは言った。『ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りずわたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ』(イザヤ書7:13-14)」

アドヴェントに聞かれる「インマヌエル預言」が頑なな王に向けて語られています。神はこの男の子によってインマヌエルである御自身を示されました。生まれる男の子はやがて、神さまに背き続ける人の頑なさをすべて受け止めて、十字架に上げられ、粉々にくだかれます。しかしかえってその姿が、神さまの愛を拒む頑固さを砕きます。ご自分が人の頑固さの犠牲となることで、主は愛を示されました。父なる神は、他者に責任を押し付けて赦される秘儀は、この御子イエスの御姿のみで十分だと言われます。そこに人との平和を築いてくださいました。乳飲み子の姿で来られ、わたしたちの頑なさを砕き、赦し、慰め、御心に応えるものにしてくださいます。人の頑なさを砕く、インマヌエルのしるしです。

2020年12月16日祈祷会(歴代誌下第27章)

歴代誌下第27章

9節からなる第27章は歴代誌下のなかでも、もっとも短い章です。ヨタムという王の事績を記します。短いので、歴代誌下の王たちのなかでは重要ではない人のように感じます。しかし2節に読み流すことのできないことが書いてあります。「彼は、父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。ただ主の神殿に入ることだけはしなかった。民は依然として堕落していた」神さまのまなざしに「正しい王」であることは間違いないようです。けれども「主の神殿に入らない」「民は依然として堕落していた」と書かれます。これはどういう意味なのだろうかと思わされます。

1.王家の一人として責任を引き受けるヨタム

 ヨタム王は、他の王にはない即位の手続きを踏みます。前章の終わりにこのような言葉が記されていました。「ウジヤ王は死ぬ日までその重い皮膚病に悩まされ、重い皮膚病のために隔離された家に住んだ。主の神殿に近づくことを禁じられたからである。その子ヨタムが王宮を取りしきり、国の民を治めた(歴下26:21)」前の王が在任中に代わりにその務めを果たします。こういう役職を「摂政」とも言います。ヨタム王がウジヤ王の摂政となったのは良い理由ではありませんでした。ウジヤ王は祭司の務めである「香を焚く」ということを勝手に行おうとし、その報いとして額から重い皮膚病が広がりました。 

ヨタム王が父ウジヤ王から代わって引き受けたのは、仕事だけではないと考えられます。「先代の王が祭司の務めを軽んじて、神より報いを受けた」という王家への霊的な不信も代わって引き受けたことになります。ヨタム王は、主の目に正しいことを行いながらも「ただ主の神殿に入ることだけはしなかった(2節)」とあります。ヨタムは神さまを信じ、ウジヤに代わって引き受けた務めを果します。しかし神殿への参拝は控えます。そこから、ウジヤ王が犯してしまった神殿への軽率と、それに対する厳しい審判を目の当たりにし、聖なるものへの恐れを一層弁えている人の姿が覗うことができます。

ウジヤとヨタムは父子と言えども一個人です。しかし民のまえでは同じダビデ王家です。神さまとの契約に生きる民として、ウジヤの背信の責任をヨタムは代わって引き受けたとも言えます。「わたしたち王家は、神さまの契約に対して相応しくないことをしてしまった」という責任の代償です。誠実な信仰だからこそ、そう思うのです。先代の罪責を誠実に弁え、代わって引き受けるという役目は、その務めに召し出された人にしか成し遂げられません。その点で、じつにヨタムは神さまの御前に誠実であったということになります。

2.人の弱さを引き受けることへ務めを集中する

さらにヨタムは、王国での神さまへの背信も引き受けることになりました。「民は依然として堕落していた(2節b)」この堕落がどのようなものだったか、列王記にもう少し詳しく書かれています。同じくヨタム王についての記述のところで「民は依然としてその聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた(列王下15:35)」。ウジヤが築いた繁栄の世に在りながら、神さまへの信頼は崩れてしまっていたようです。父ウジヤ王のように、人々は香を焚く役目を犯します。ヨタムにとって、民の堕落は放置できるものではなかったと思います。しかし、父王がかつて犯した背信の姿をさしおいて、香を焚くための高台を廃することを推し進めても、しめしがつきません。自分には解決ができないと、王家の責任とともに弁えて忍耐したのではないかと思います。

自らを弁えるヨタムは、人民を裁くのではなく、徹底して守ることに集中します。神さまへの信頼が弱まっている民を守るために、自分に出来ることはなにかということに集中するということです。神さまへの信頼が弱まっているところに、外敵が襲ってきてはひとたまりもありません。ヨタムは城砦を築きます。とくに「オフェルの城壁」の工事を施したところに、ヨタムが注いだまなざしがあらわれます。彼は主の神殿の上の門を建て、オフェルの城壁に多くの工事を施し(3節)」とあります。この「オフェルの門」はエルサレムの南側の斜面に面しています。すぐ下には「キドロンの谷」があり、オリーブ山を仰ぎます。オリーブ山から南側に敵が駆け下りて、突かれ、破られると、エルサレムはたやすく征服されます。そこに彼は立ち、破れを修復し、さらに門を建てて見張ります。ヨタムは民を守るために、破れやすい所に立って、その弱さを引き受けます。

彼の民を守る思いは、南側からの脅威であるアンモン人を屈服させます。「彼はアンモン人の王と戦ってこれを征服した。その年アンモン人は銀百キカル、小麦一万コル、大麦一万コルを献上してきた。アンモン人は二年目も、三年目もそうした。」打ち負かした異民族を滅ぼすのではなく、屈服させて、しかも贈り物を献上させるようにさせたのは、珍しいことです。二年目も、三年目もアンモン人がそうしたというのは、自発的な献上だと考えられます。つまり心からヨタム王に服したということです。主の御前に御心をたずねて歩んだ王の姿がアンモン人にも感化を与えたと考えてもよいでしょう。彼は敵を殲滅するのではなく、敵意を滅ぼして、アンモン人の心をすら、神の王国との平和へ向けさせます。

3.キリストと共に弱さを引き受けるところに立つ

こうしてヨタム王の歩みをじっくり見てみますと、彼は人の心の破れを繕うために、自らを務めに捧げた王であったように思います。「ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた(9節)」ヨタムのたゆまぬ歩みは、人の破れを代わって引き受けることだったと聞き取ってよいでしょう。ヨタムもキリストにいたる系図に名を残しています。「ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを(マタイ1:9)」ヨタムは歴代誌下のなかではもっとも記述が短く、長命でもありません。しかし人の破れを代わって引き受けた王として名を残します。

聖なる書物に名を残す人について、このような聖句があります。「彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す (ヨハネの黙示録3:5-6)」イエス・キリストは、人の破れを引き受けるところに立たれました。このお方がお引き受けくださったのは、愛し続ける神との交わりを拒む人の破れです。「われわれが自分自身の罪びとであることを知る時、キリストがわれわれの場所を占めてくださった(われわれに代わられた)ということは良い知らせであるに違いない。それは特に、義人の見せかけを装ってでなく、まさしく罪びととしてキリストと共に、立っているとの信仰によって、われわれが自分の罪を認めることができるようにしてくれるゆえに、良い知らせである。われわれはみな悪党であるが、それでも神は我々を愛してくださるのである(W.C.プラチャー『キリストがわれわれに代わられる』)」キリストを信じるものは、その破れを回復されています。キリストの霊をうけ、神と人の交わりの破れをキリストと共に悲しみ、それを代わって引き受けます。キリストと共にたゆまぬ歩みを続けます。その人は、神へ立ち帰る魂、命の書に名が増し加えられることをキリストの霊と共に喜びます。ヨタムのように、人に代わって破れ口に立つ人に与えられる喜びです。

2020年12月9日祈祷会(歴代誌下第26章)

アドヴェントによく読まれる預言書と言えば、イザヤ書です。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(7:14)」「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。(9:4)」「エッサイの株からひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。

(11:1)ウジヤ王の治世にイスラエルは大いに繁栄します。しかし彼自身は神さまの背きのために、死の病に倒れます。「ウジヤ王が死んだ年のことである。 わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた(6:1)」イザヤが預言者として召されたのは、このウジヤ王の時代でした。

1.ウジヤの繁栄のイスラエルに生まれたイザヤ

 ヨアシュ、アマツヤと同じように、ウジヤ王も敬虔な王として歩み出します。「神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた(5節)」ウジヤを諭したゼカルヤという人は、命を懸けてヨアシュを諫めた預言者ゼカルヤと同一人物か、あるいはゼカルヤの殉教の記念として名を受け継いだ人と言われます。「ウジヤの勢いはこの上もなく増大し、その名声はエジプトに近い地方にまで届いた(8節)」ウジヤが主を求める間は、彼の治世は大いに繁栄します。ペリシテ人を討ち、アンモン人は貢ぎ物を持って来ます。また国内にあっては農業を奨励します。「ウジヤが農耕を愛したからである(10節)」繁栄の手段として農業を奨励したのではなく農耕への愛がありました。自ら土を耕し、種を蒔いたのかもしれません。愛する国土を守るため、11節から15節は、彼が防衛のために力を尽くしたことが記されます。なんと機械製のカタパルト(矢や石の発射台)まで作ります。ウジヤは神を畏れ敬い、敵に立ち向かう勇気があり、農耕を愛し、国を守るために科学を発展させます。たいへん優秀な王です。「ウジヤは、神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ(15節)」神さまを求めて、自分の務めにしっかりと励む人に、神さまの驚くべき助けが与えられる確かな証のようにも思われます。ウジヤ王の導きのもと、イスラエルも大いに繁栄したことでしょう。さきほど触れた預言者イザヤも、このような繁栄の時代に生を受けたと考えられます。ウジヤの治世は、平和で、物に溢れ、諸国の尊敬を集め、科学が進歩していく時代のように思えます。

2.執り成しの務めは、神さまの召し出しによって

 しかしこれほどの繁栄を築いたウジヤ王は、重い皮膚病にかかって命を落とします。「重い皮膚病」は、律法にもある通り、神への背きの証とされました(レビ13:22)。病は額に広がります。隠すことも出来なかったでしょう。王は、国の指導者として人民の前に姿を現さなければなりません。「隔離された家」へと追いやられます。

 国を繁栄に導いた王に対し、厳しい仕打ちのようにも思えます。しかしその病には明白な理由がありました。「ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした(16節)」王としての成功が、彼を思いあがらせます。

彼の思い上がりは行いに現れます。香の祭壇の上で香を焚こうとします。王のまえに勇気を出して立ちはだかった祭司アザルヤが諫めます。「ウジヤよ、あなたは主に香をたくことができない。香をたくのは聖別されたアロンの子孫、祭司である。この聖所から出て行きなさい。あなたは主に背いたのだ。主なる神からそのような栄誉を受ける資格はあなたにはない(18節)」律法によれば、香は礼拝を捧げる時に、特に罪の赦しを祈願する時に用いるよう定められていました。「アロンは年に一度、この香をたく祭壇の四隅の角に贖罪の献げ物の血を塗って、罪の贖いの儀式を行う。代々にわたって、年に一度、その所で罪の贖いの儀式を行う。この祭壇は主にとって神聖なものである(出エ30:10)」お香の良い香りを思い出してみてください。心を込めて焚き染めた香りが怒りを鎮めていきます。神さまは罪をお怒りになるお方です。そのお怒りを鎮めて、罪の贖いをお受けになるとき、良い香りを求められます。わたしたちにも覚えがある心持ちです。

ただし、その役目は神さまに選ばれた祭司だけが出来ることです。祭司は、その身を賭して神さまと罪びとの執り成しをするように神さま御自身に聖別されているからです。ウジヤはその点に鈍感になっていたようです。「なんでもできる優秀な王様」は、召されていない務めにまで手を出そうとしました。しかも彼は諫めた祭司たちに怒ります。皮肉にも、この忠告への怒りが、彼には執り成しの役目を果たす資格がないことを示しています。神さまの怒りを鎮めて、罪人の負い目を拭ってあげるのが祭司の務めです。忠告を聞いて怒る人には到底務まりません。怒りは神さまへの傲慢の証だからです。主の御召し出しがあってこそ、与えられた務めを果たせるのです。しかしウジヤはそのことを忘れてしまいました。額に病が現れ、彼は自分の思い上がりに気づきます。そして神殿から「急いで出て行った」のでした。

3.神さまは霊によって清め、ご計画に召し出す

 さて、このようなウジヤ王が死んだ年、イザヤは預言者に召されました。「わたしは主を待ち望む。

主は御顔をヤコブの家に隠しておられるがなおわたしは、彼に望みをかける(イザ8:17)」主を待ち望む預言を語り継いだ、偉大な預言者です。しかし彼ですら、神さまの御前に召し出されたとき、大いに恐れ、死を覚悟しました。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た(5節)」彼は、ウジヤ王の治世に栄華を誇るイスラエルの繁栄に生を受けました。しかし「汚れた唇の民の中に住む者」だと言います。不誠実な世に生きていることを自覚します。謙遜に、自分には主の前に立つ資格がない、と認めるのです。そんなイザヤだったからこそ、かもしれません。天使が彼の唇を清めます。「セラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。『見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された』(6:6-7)」イザヤはこうして、神さまに召し出されて、預言者の役目についたのでした。主を待ち望む希望に満たされ、預言を語り継ぎます。神さま御自身が、その務めを与えてくださったからです。

神さまはご自分の御用に召し出す人を、汚れたままにはされません。聖なる火で浄めてくださるお方です。このときイザヤの唇に触れた炭火は、犠牲となった捧げものの骨です。犠牲となったものの炎が、汚れを取り除き、主の御用に召し出します。

「“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています(ローマ8:27-28)」この世の繁栄のためではなく、ご計画に召した者を神さまは聖霊によって清め、用いられます。ウジヤ王の頃は祭司にしか許されていなかった執り成しの務めです。今は、犠牲となったキリストの霊の炎に清められ、赦されたものが執り成しの務めに召し出されます。

2020年11月25日祈祷会(歴代誌下第24章)

幼いころから祭司ヨヤダに守られ、育てられたにもかかわらず、ヨアシュ王の信仰はあらぬ方へと向かえっていきます。一途な信仰を生涯にわたって保つことができない悲しさが伝わってきます。神殿の奥で幼少から育てられたにも関わらず、いったいその不信仰の兆しはどこにあったのでしょうか。

1.ヨヤダの安心が招いたほころび・御言葉の誤用

 6年間の潜伏を経て7歳で即位したヨアシュ王も一人前となって、王として思う所を行い始めます。

「その後、ヨアシュは主の神殿の修復に意欲を示し、 祭司とレビ人を集めて言った。「ユダの町々に出かけて行って、あなたたちの神の神殿を毎年修理するため、すべてのイスラエル人から資金を集めよ。速やかに取りかかれ(4-5節)」祖母アタルヤの王位簒奪の混乱で、神殿は修復を必要としていました。さっそく行動に起こすヨアシュ王は、じつに信仰に燃えているようにも見えます。ただ、気がかりなのは、ここでレビ人が速やかに動かず、また祭司ヨヤダも王に督促されるまで何も語っていないところです。「しかし、レビ人たちは速やかに取りかからなかった。そこで王は祭司長ヨヤダを呼んで言った。『なぜあなたはレビ人に要求し、主の僕モーセとイスラエルの会衆が、掟の幕屋のために定めた税をユダとエルサレムから徴収しないのか』(5-6節)」

確かめるべきところがあります。それはヨアシュが修復の指示の根拠にしている聖句(下線部)です。幕屋のために税について、出エジプト記第30章に記されています。「登録を済ませた二十歳以上の男子は、主への献納物としてこれを支払う。あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる。あなたがイスラエルの人々から集めた命の代償金は臨在の幕屋のために用いる(出エ第30章14-16節)」下線部が重要です。この幕屋のために献げる半シェケル(6g銀貨)は、それ以上でも、それ以下でもあってはなりません。人の命が神の御前に贖われるとき、その値は等価だからです。しかしヨアシュの指示を聞いた民は、みな競うようにして潤沢にささげています。この律法を根拠にして潤沢な資金を得ようとするヨアシュは、残念ながら律法を読み間違えています。

故意か過失か、ヨアシュの真意はわかりません。レビ人の躊躇は、王が御言葉を正しく読んでいないことと、王としての自己顕示欲の高揚に、危うさを感じていたのではないか、とも思えます。王がレビ人からみ言葉を学び、正しく用いることについては、このような律法もあります。「王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない (申命記第17章18-20節)」この命の贖いの半シェケルは、余ったとしても民に返されなければなりません。しかし王とヨアシュは受け取ります(14節)。たとえ神殿の祭儀に用いられたとしても、ささげられたものの用途は、御言葉にそって正しく用いられるべきでした。熱心さの陰に潜む御言葉への軽率が見られます。

2.ヨアシュは堕ちる、自分が主となり続ける罪へ

130歳でヨヤダは生涯を終えます。幼少からヨアシュを育て、ダビデの血筋を守り通しました。王は立派に職務を果たしています。幸せに希望を感じながら眠りについたでしょう。しかし、ヨアシュは豹変します。彼の背信の兆しを、ヨヤダは生前のうちに摘むことができませんでした。

ヨヤダ死後のヨアシュの背信の理由について二つ、次の節が記しています。「ヨヤダの死後、ユダの高官たちが王のもとに来て、ひれ伏した-①。そのとき、王は彼らの言うことを聞き入れた。彼らは先祖の神、主の神殿を捨て、アシェラと偶像に仕えた-②。この罪悪のゆえに、神の怒りがユダとエルサレムに下った(17-18節) 」①ひれ伏されると自分が主となってしまいます。彼は即位の時、6歳の時に全イスラエルの会衆が「王万歳」と叫んで足元にひれ伏すありさまを目の当たりにしました。神殿の真ん中で6年間、すなわち礼拝の場で育ちながら、自分が主人となってひれ伏される快感を忘れられなかったのです。②アシェラ(姦淫の女神)に仕えてしまったことです。これは後ほど登場するアンモンとモアブの女のそれぞれの息子に寝床で止めをさされることの遠因ともなっています (25節)。姦淫の神アシェラに仕えたヨアシュの性的放埓が招いたと言えます。自分の好みを自由自在に心行くまで楽しむことができる環境は、一途な信仰を萎えさせます。

生まれた頃から6年も神殿の奥で育ったにも関わらず、その信仰の育ての親がいなくなれば快楽の神に覚れてしまうヨアシュ。自分を人生の主人とする生き方から逃れられません。礼拝の場で常に起こる最大の罪、それは自分が主人で居続けることです。その心の在り方は必ず裁かれます。主人である神のみ言葉が聞こえなくなるのです。結局は、報いとしてかえってきます。自分が主人であることをやめることができる恵みを逃してしまうのです。

3.主は忍耐し、異邦人を用いてでも立ち帰らせる

ヨアシュは諫める預言者たちの言葉も聞かず、最後はヨヤダの息子、ゼカルヤすら殺します。「彼らを主に立ち帰らせるため、預言者が次々と遣わされた。神の霊が祭司ヨヤダの子ゼカルヤを捕らえた。主の神殿の庭でゼカルヤを石で打ち殺した。ゼカルヤは、死に際して言った。『主がこれを御覧になり、責任を追及してくださいますように』(20-22節)」その報いとして異邦人であるザバト、ヨザバトを用いて、ユダ王国を立ち帰らせたのでした。

イエスさまが預言者ゼカルヤに触れながら、預言者が血を流すことについて、こう語っておられます。「天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる(ルカ11:50-51)」

人類の初めての礼拝者への迫害は、まさしく礼拝の現場で起きました(創世記第4章)。カインが礼拝者アベルを殺害します。自分の捧げものを受け入れないことに腹を立てたのです。カインが自らを主人と考えていたからです。それは魂にとってとてもつらいことです。自分の責任を自分で負わなければなりません。カインも「重すぎます(13節)」叫びます。自分が人生の主人となり責任を負うのは、とても重いことなのです。永遠の主に命の重荷を担っていただけない苦痛があります。まことに聖書が言う通りに、罪は死をもたらします(ロマ6:23)。

主が忍耐をし、自分を主人と考えて生きる罪から、人を立ち帰らせるために主イエス・キリストを十字架へお遣わしになりました。この深い憐みにより、み言葉を聴かない責任の追及は十字架の血によって全く贖われました。命の贖いは、キリストが十分に支払ってくださったのです。贖われた魂の価値は、それ以上でも、それ以下でもありません。この方がしっかりとわたしたちの命の責任を果たしてくださいました。神の御前にあって、わたしたちの命の責任は、私たち自身が負わなくて良いのです。命を贖われた礼拝者は、たちどころに主の救いの御業に召されます。救い主が遣わされるアドヴェントを迎えます。私たちの命を贖うために来られる救い主です。

2020年11月18日祈祷会(歴代誌下第23章)

聖書には誰がどう見ても悪を為しているとしか思えない人物が登場します。歴代誌下第22-23章に記されている女王アタルヤなど、その最たる人です。、実の息子アハズヤに偶像を拝む悪の道を勧め、信仰心を奪います。言いなりにして、自分の実家である北イスラエルに協力するように唆します。そしてアハズヤがアラムとの戦いに巻き込まれ命を落とすや、その王位を奪って南ユダ王国を支配します。そして孫の命すら奪おうとします。自分の権力を高め、国を支配するためには子、孫の命も顧みません。ついにダビデの血筋は、アハズヤのたった一粒の落胤(おとしだね)、幼子ヨアシュ一人のみになりました。アタルヤの魔手がダビデの最後の血筋へ伸びていきます。しかし、主なる神さまは今にも消えそうになったダビデの血筋をしっかりと守るための仕え人を起こし、かえってアタルヤに具現化した悪を滅ぼします。仕え人たちの交わりのなかに起こされる主の忍耐とご計画の深さに聴き入ってみましょう。

1.世の豊かさが賛美されるなか、忍耐するヨヤダ

悪は、神さまと人の救いの契約を滅ぼそうと全力で襲ってきます。攻撃の機会をいつも虎視眈々と狙っています。神さまと人の交わりを断つ悪の攻撃はいつの世も起こりえます。

アタルヤがアハズヤも巻き込んだ悪の道。それは実態のない偶像を崇めさせ、神様を礼拝する自由を奪うものです。推察してみます。アタルヤが拝んだものは、実家の北イスラエル王国で信奉されていたもの、祖父アハブも拝んだ豊穣神バアルだと思われます。豊穣神バアルに帰依する人たちは、おもに毎年の農作物の豊作を祈願していました。当時にあっては豊作は地上での豊かさに直結します。つまり豊かさの祈願です。農地で実際に汗を流す人々が豊作を祈願する思いの尊さは理解できます。しかし為政者が民衆に豊穣神への祈願を強制するならば、そこには支配的な思惑が混入します。国を豊かにすることで自らの地位を高め、神との仲立ちを自認して振る舞うのです。このような思考の方向性は時代を超え、姿を変えて現出します。為政者の口から出る富の豊さへの礼賛には、経済を回して自分を豊かにするためのプロパガンダ(世論誘導)が潜むこともあるのです。そのような中で、魂の霊的な解放の機会が奪われていきます。 

「こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは彼らと共に神殿の中に隠れていた(前章12節)」このアタルヤに支配された6年は、主の教えを愛する人々にとっては暗黒の6年だったでしょう。先々代のヨシャファト王が神の国の教えを伝道したのは2,30年ほど前のこと。国を挙げて神様を信じた時代を知っていた年配の信仰者たちは悲しみに暮れたかもしれません。祭司ヨヤダもそのうちの一人です。彼はこの危機に豁然(かつぜん)と立ち上がります。暗黒の6年間であっても、神の祭司として召された自覚と、王子ヨアシュに残るダビデの血筋がまだ失われていない、すなわち神の約束の希望は失われていないことへの、確かな信頼があったからだと彼は立てたのです。神さまは、召された者としての自覚と、神さまの希望に信頼して忍耐する人を用いて出来事を起こされるのです。

2.潜伏と忍耐の6年を経て、決起の時へ

祭司ヨヤダは妹ヨシェバと、ヨアシュ王子の乳母とともにヨアシュ王子を神殿に匿います。その6年はどれほど細心の注意を要するものだっただろかと思います。小さなヨアシュ王子を守りながらその時を待ちます。忍耐の6年間です。しかしその6年をヨヤダは何もせずに過ごしたわけではありません。忍耐することと、何もしないことは決してイコールではないのです。希望を失わない忍耐は、準備の期間を与えます。地中を深く掘り進み、鉱脈の光を目指す鉱夫のように、じつは静かに前進しているのです。

小さな希望を守りながら結実の時を待つヨヤダは、この6年でじっくりと味方固めをしていました。7年目、ついに決起の時が巡ってきました。ヨヤダは忍耐しながらも、決起に賛同する味方を選んでいました。1、2節では、ヨヤダが名指しで味方を選び、さらにユダの国中からこれと思える人を召し出します。暗黒のなかでも希望の光を見失わない真の信仰者が働き手として選ばれていきます。そして、4-11節では、ヨヤダは綿密に頼りになる味方を指揮し、配置します。契約を消そうとするアタルヤの悪を除くためです。これはヨヤダを通して与えられる神の選びでもあります。こうして決意を固めることができたのも、賛同者との結びつきと信頼があったからです。

決起にあたりヨヤダが6年間も待ったのは、ひとつには幼子ヨアシュの成長を待ったということもあると思います。「見よ、王の子を。主がダビデの子孫について言われた言葉に従って、彼が王となる(3節)」ダビデの血筋が存命だったことを知り、どれほど味方は喜んだでしょうか。それに加えて、忍耐のなかで進む神の計画は、信仰を分かち合うまことの交わりを熟成させ、それぞれの働きを十分に把握するためにしかるべき時間を与えるのです。

3.独り子の即位の光に、悪は滅ぼされていく

時は満ちました。ヨアシュ王子は油を注がれて即位し、民は「王万歳!」とダビデの血筋が再び王座についたことを喜びます。その喜びの叫びはアタルヤにも届きました。アタルヤは民が走りながら王をたたえる声を聞き、主の神殿の民のところに行った(12節)」神殿のなかでヨアシュが6年もかくまわれていたのに、アタルヤはその存在に気づくことができませんでした。彼女は一切神殿に寄り付かなかったのです。神は、このアタルヤの不信仰を用いられたのです。神を信じようともしなかった悪のアタルヤは、聖なるところの中心で、静かに神のご計画が実りの時を待ち続けているという真理をまったく知ることがなかったのです。悪を滅ぼす神の光は、その姿を現す時を隠れたところで待つのです。彼女が見ると、入り口の柱の傍らに王が立ち、そのそばに将軍たちと吹奏隊が立ち並び、また国の民は皆、喜び祝ってラッパを吹き鳴らし、詠唱者たちは楽器を奏で、賛美の先導を行っていた(13節)」女性が引きずり出されて剣に殺される様子はたしかに惨いです。多少、哀れには思います。露わとなった王の姿の傍らで、悪は滅びていきました。しかしそれでも神は「民を必ず罪から救う」というご自分の契約を守られるのです。そして民はあらためて主との契約を結びなおすのでした。

イエス・キリストの十字架に現れた救いと愛の神のお姿は、不信仰の目からはただ惨いものとして、隠されています。しかし「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです(ロマ8:3)」わたしたちを神さまから遠ざけようとする罪は、あの十字架の上で処断されたのです。独り子が神の選びによって即位し、民がその即位を喜ぶ傍らで、悪が滅びていく様子は、神の子が十字架の栄光によっていっさいの罪を滅ぼしてくださったお姿に重なります。

神の群れは常に忍耐します。いま、新型ウィルスによって集まることに支障をきたす群れがあります。これを礼拝への悪の攻撃だとするならば、いま、教会はじっと忍耐の時を過ごしていることになります。しかし忍耐とは無為に時を過ごすことではありません。信仰者同士の結束を堅くして、計画を練る時でもあります。わたしたちには十字架の主の栄光が託されています。希望をもって忍耐し、計画を練りながら、決起の時を過ごすのです。

より以前の記事一覧

フォト

カテゴリー

写真館

  • 201312hp_2
    多田牧師「今月の言葉」に掲載したアルバムです。(アルバム画面左上のブログ・アドレスをクリックしてブログに戻れます。)
無料ブログはココログ